鹿野田村(読み)かのだむら

日本歴史地名大系 「鹿野田村」の解説

鹿野田村
かのだむら

[現在地名]西都市鹿野田・都於郡町とのこおりまち

三財さんざい川を挟んで清水きよみず村の南に位置する。蛇行する同川は当村の西・北・東をめぐるように流れ、西方対岸は三財村、東方対岸は岡富おかどみ村・黒生野くろうの村など。村域は広く、三財川の右岸低地および南部の台地にわたる。三財川を望む南部台地上には佐土原藩の五外城の一つ、外城都於郡(都於郡郷)の外城衆が集住し、合せて東西に走る薩摩街道に沿って町場が発達、一帯は都於郡町とよばれた。寛文七年(一六六七)佐土原藩領之図(県立図書館蔵)には「鹿野田之内都於郡侍町」「都於郡町」がみえる。都於郡町は佐土原さどわら城下(現佐土原町)妻万つま町とともに佐土原藩三ヵ町の一つに数えられ、町役として別当・年寄・小触などがいた(佐土原藩島津家日記)

近世領主の変遷は妻万村に同じ。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳では「鹿野田 八十町」とみえる。日向国覚書では高二千四〇〇石余、寛文四年の高辻帳高寄帳写(日高文書)でも同高。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報