那賀(読み)なか

精選版 日本国語大辞典 「那賀」の意味・読み・例文・類語

なか【那賀】

[一] 島根県(石見国)西部の郡名。南は中国山地を境にして広島県と接し、北は日本海に面する。
[二] 静岡県の東部、伊豆半島の西部にあった郡。古くは仲・那可・那珂とも書いた。明治二九年(一八九六賀茂郡に併合された。
[三] 徳島県(阿波国)の郡名。大化改新のさいに設置されたものと考えられる。長郡(ながぐん)ともいった。平安末期から江戸初期にかけて那東・那西・海部(かいふ)の三郡に分かれていた。寛文四年(一六六四)那東・那西両郡が合併して再び那賀郡となり、海部郡は独立した。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「那賀」の意味・わかりやすい解説

那賀[町] (なか)

徳島県中南部,那賀郡の町。2005年3月相生(あいおい),上那賀,鷲敷(わじき)の3町と木沢(きさわ)村,木頭(きとう)村が合体して成立した。人口9318(2010)。

那賀町東部の旧町。那賀郡所属。人口3368(2000)。那賀川中流域に位置し,那賀川とその支流沿いに急傾斜の耕地がひらける。町域の大部分を占める山林は木頭林業地帯の一翼を担い,全国屈指の杉林が林立する。農業では米作,タバコ,花卉,茶の栽培が盛んで,特に茶は良質をうたわれる。那賀川総合開発事業の中心地で,1955年完成の日野谷発電所は県下有数の出力(6.1万kW)を誇り,61年には川口発電所(最大出力1.2万kW)が建設された。人造湖周辺は中部山渓県立自然公園に指定されている。国道195号線が通じる。

那賀町中部の旧町。那賀郡所属。人口2365(2000)。北部と南部を山地が占め,中央部を那賀川が東流する。中心地は小浜で,町役場と併設して山村開発センターがある。林野率が高く,木頭林業地帯の中心の一つで,町民の多くが林業に従事している。特産のユズは〈木頭ユズ〉として全国的な販路をもち,アマゴ養殖も盛ん。1957年に那賀川総合開発の中核として重力式多目的ダムの長安口ダムが完成した。国道195号線が通じる。

那賀町北部の旧村。那賀郡所属。人口957(2000)。剣山地に囲まれ,剣山南斜面を水源とする坂州木頭川が中央部を東流し,沢谷地区で南流する沢谷川を合わせる。流域にはほとんど平地はなく,集落の多くは山腹緩斜面に位置する。林業が主産業で,木頭林業の一翼を担い,美林が多い。傾斜地ではユズ,梅,栗などの栽培が盛ん。坂州にある黒滝寺は四国八十八ヵ所21番札所太竜寺の奥の院である。小畠には天然記念物のタヌキノショクダイ発生地がある。国道195号線が通じる。

木頭

那賀町西部の旧村。那賀郡所属。人口1843(2000)。剣山の南側に位置し,那賀川本流の最上部を占める。西と南は高知県に接する。祖谷(いや)(現,三好市)とともに阿波の秘境と称されたが,国道195号線の整備が進み,高知県境の四ッ足堂峠にトンネルが開通するとともに生活環境は一変した。林野率は高く,全山が杉の大森林地帯で,木頭林業の中心地をなす。従来いかだ流しされていた木材は那賀川総合開発事業によるダムの出現とともに陸送に切り替えられた。特産のユズは〈木頭ユズ〉として大阪,東京方面へ出荷される。剣山国定公園に属する高ノ瀬峡は紅葉の名所。国道195号線が通じる。

那賀町東端の旧町。那賀郡所属。人口3360(2000)。那賀川中流に位置する。中心集落の和食(わじき)は,藩政時代,上流の仁宇谷(にうだに)(丹生谷)58ヵ村組頭庄屋の所在地で,渓口集落としての性格をもち,この地方一帯の中心地として発展した。農林業が主産業で,杉,ヒノキなどの林産物のほか,米,たけのこミカンなどを産する。近年はスダチ,イチゴ,フキなどの栽培が盛んで,たけのこやフキは町内で加工され出荷される。景勝に富む那賀川の鷲敷ラインはカヌー競技場の一つで,付近には青少年野外活動センター,キャンプ場,氷柱(つらら)観音などがある。国道195号線が東隣の阿南市へ通じている。
執筆者:

那賀 (なが)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「那賀」の意味・わかりやすい解説

那賀
なが

和歌山県北部、那賀郡にあった旧町名(那賀町(ちょう))。現在は紀の川市の北東部を占める地域。旧那賀町は、1955年(昭和30)名手(なて)町と上名手、麻生津(おうづ)、狩宿(かりしゅく)の3村と王子村の一部が合併して成立、2005年(平成17)打田(うちた)、粉河(こかわ)、桃山(ももやま)、貴志川(きしがわ)の4町と合併し、紀の川市として市制施行。紀ノ川北岸をJR和歌山線、国道24号、480号が通じる。紀ノ川を挟んで北は葛城(かつらぎ)山(858メートル)で大阪府に接し、南は飯盛(いいもり)山(746メートル)に至る。紀ノ川北岸に沿う名手市場が中心集落で、かつては大和(やまと)街道から西高野(にしこうや)街道が分岐する宿場町であった。旧名手宿本陣は国史跡に指定されるとともに、旧名手本陣妹背家住宅(いもせけじゅうたく)は江戸初期の大庄屋(おおじょうや)住宅で国の重要文化財。江戸末期の外科医華岡青洲(はなおかせいしゅう)の生地で、墓碑(県の史跡)がある。対岸の北涌(きたわき)は近世、紀ノ川の河港で西高野街道の渡津(としん)集落。南北の山地はミカン、カキの栽培地。黄銅鉱を産出した飯盛鉱山は1971年閉山。藤崎堰(せき)のある藤崎弁天付近と葛城山一帯は金剛生駒紀泉国定公園。

[小池洋一]

『『那賀町史』(1981・那賀町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「那賀」の意味・わかりやすい解説

那賀
なが

和歌山県北部,紀の川市北東部の旧町域。紀ノ川の中流域に位置する。1955年名手町と王子村,狩宿村,上名手村,麻生津村の 4村が合体して那賀町が発足。2005年打田町,粉河町,桃山町,貴志川町の 4町と合体して紀の川市となった。北は和泉山脈南斜面から紀ノ川を挟んで南は飯盛山北斜面にわたる。中心集落の名手は大和街道と西高野街道(→高野街道)の分岐点。対岸の麻生津(おうづ)は近世,西高野街道の渡し場。高野山への近道として利用された。主産業は農業で,米,ムギをはじめ,北部ではカキ(柿),南部ではミカンの生産が多い。華岡青洲の生地で墓碑がある。旧名手宿本陣(国指定史跡)の妹背家住宅は国の重要文化財に指定。一部地域は金剛生駒紀泉国定公園に属する。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の那賀の言及

【名手荘】より

…紀伊国那賀郡(現,和歌山県那賀郡那賀町,粉河町)の荘園。もと藤原頼貞の私領であったが,所領経営に失敗し,1064年(康平7)石清水(いわしみず)八幡宮寺に寄進された。…

※「那賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android