鹿子生村(読み)かこおむら

日本歴史地名大系 「鹿子生村」の解説

鹿子生村
かこおむら

[現在地名]黒木町鹿子生、立花たちばな遠久谷とおくだに

土窪つちくぼ村の南西にあり、矢部やべ川支流の鹿子生川が北流する。文禄四年(一五九五)一二月の上妻郡内知行方目録(筑紫家文書)に「鹿子生」とみえ、谷川たにがわ(現立花町)と合せて高五二一石余。元和七年(一六二一)の郡村帳では玄蕃高九七石余・新田高一〇石余、小物成は山手米一石五斗・茶年貢銀一二匁六分・柿年貢銀三匁六分・「かご」(楮)年貢紙木一六束・山畠年貢栗六斗・山畠年貢蕎麦一石四斗三升・樹木年貢山椒二升。谷川組本地高付帳(伝習館文庫)では畝一二町五反余・高一六五石余・物成七三石余・口米二石余・夫米一八石余。


鹿子生村
かこおむら

[現在地名]立花遠久谷とおくだに黒木くろぎ町鹿子生

辺春へばる村の東にある。鹿子生村の遠久谷集落は名で、「谷川組御用日記」に名として遠久谷がみえる。享保九年(一七二四)頃、鹿子生村内に天神など四社があった(「寺社帳」旧柳河藩誌)。宝暦二年(一七五二)の谷川組櫨植立帳(伝習館文庫)では七五本・実一千一一九斤、実のならない木二千二四九本。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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