立花町(読み)たちばなまち

日本歴史地名大系 「立花町」の解説

立花町
たちばなまち

面積:八六・六四平方キロ

八女郡南西部、八女市の南に位置する。東は黒木くろぎ町、西は山門やまと瀬高せたか町、南西は同郡山川やまかわ町、南は熊本県玉名郡三加和みかわ町、南東は同県鹿本かもと鹿北かほく町と接する。西部を白木しらき川、東部を辺春へばる川が北流、いずれも北部の八女市境で矢部やべ川に合流する。同川沿いを除いて大部分筑肥ちくひ山地が続く。町域を国道三号、主要地方道久留米―立花線・同玉名―八女線などが通る。現町域は古代より上妻かみつま郡に属したと考えられる。町北部は上妻こうづま庄の一部に含まれ、中央部の飛形とびかた山は安楽寺(太宰府天満宮)領。天正一五年(一五八七)当町域を含む上妻こうづま郡は筑紫広門の所領となり、山下やました城を居城とした。

立花町
たちばなまち

[現在地名]松山市北立花町きたたちばなまち

松山城下町の南端の町。郷村との接触地点となっていた。東は永木ながき町、西と北は河原かわら町・豊坂とよさか町、南は立花村に接する。元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「惣町数七拾壱町」のなかにも、各種の城下町図のなかにも町名が記されていないので、幕末―明治初年に立花町と公称されるようになったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報