高畠城跡(読み)たかはたじようあと

日本歴史地名大系 「高畠城跡」の解説

高畠城跡
たかはたじようあと

[現在地名]高畠町高畠

屋代やしろ川左岸の段丘上、現高畠小学校敷地一帯を城池とした梯郭式の平城。かねヶ城・屋代城の別称があり、江戸時代には高畠御役所・高畠代官所・高畠御役屋・高畠陣屋などともよばれた。築城時期・築城者とも不明だが、伝えでは藤原秀衡の従兄弟樋爪五郎高衡が築城したという。南北朝期までは屋代庄地頭大江長井氏の持城であったと推定されているが、城の存在を示す史料はない。伊達氏の出羽侵攻後は、同氏の置賜支配の拠点として利用され、応永九年(一四〇二)九代政宗(儀山公)は当城を拡張し、以後氏宗・持宗・成宗四代が当城に在り、寛正三年(一四六二)成宗の時、米沢本拠を移したと伝えられる。なお伊達氏天文の乱後、稙宗を倒して実権をにぎった晴宗が米沢に本拠を移したとも伝えるが、確かなことは不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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