高清水村(読み)たかしみずむら

日本歴史地名大系 「高清水村」の解説

高清水村
たかしみずむら

[現在地名]高清水町 萱刈かやかり覚満寺かくまんじ中の茎なかのくき台町だいまち立街道たちかいどう桜丁さくらちよう東館ひがしだてみず佐野丁さのちよう善光寺ぜんこうじ五輪ごりん外沢田そとさわだ下台下しもだいした二ッ井戸ふたついど観音沢かんのんざわかげさわ十二の神じゆうにのかみ袖山そでやま新町あらまち中町なかまち本町もとまちなど

中心集落は北の善光寺川と南の小山田おやまだ川に挟まれた平坦地に位置するが、村域は南の丘陵地をも含む。北西部は西にし村、東はとみ(現瀬峰町)、西は清水沢しみずさわ(現古川市)。村名の由来は未詳だが、「安永風土記」に名水七つとして清水権現しみずごんげん清水・清水権現下しみずごんげんした清水・南御山清水・北御山清水・新町裏清水・桂葉かつらは清水・本町裏清水がみえる。これらの地名の多くは今も残る。永正一一年(一五一四)の「余目記録」にみえる「三迫高泉」は当地とされ、塩竈神社領で、宮城郡岩切いわきり(現仙台市)を一拠点とした留守家明の代まで御幣紙・「あふ屋の代」を上納したとある。

高清水村
たかしみずむら

[現在地名]鹿角市十和田山根とわだやまね 高清水

高清水川中流域の山間部に位置し、東と西は山地、南は長者久保ちようじやくぼ村。天明七年(一七八七)の知行小高百姓年貢帳(十和田図書館蔵)に村名が出る。

近世初期の「鹿角郡由来記」に「高清水村 高清水豊後領知 本名成田 館有」とあり、中世後期には開村していた。集落北側の南に延びる台地突端部に中世の館跡があり、単郭状平坦面と空堀および館神八幡社を残す。比高はおよそ三〇メートル、東を高清水川が流れる。東西に走る一条の空堀で基部を区画、軍事的要地だが規模は小さい。

寛政(一七八九―一八〇一)頃の村高二〇六石余で、うち蔵分九二石余、民戸三九軒で四軒は長滝ながたき(邦内郷村志)

高清水村
こうしみずむら

[現在地名]山田村高清水

山田谷の最上流深道ふかどう村の南に位置する。正保郷帳には村名がみえず、元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では深道村の二五町ほど南にある枝村新田として高一五石余と記載されている。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高一〇石余・定免一ツ八歩四厘(銀納)、定小物成は山役銀八匁余・蝋役銀八歩余。幕末には山役銀九匁・蝋役銀六歩余となる(古高免小物成銀等書上)

高清水村
たかしみずむら

[現在地名]上川村両郷りようごう 高清水

常浪とこなみ川右岸に位置し、東は野中のなか村。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「野中 高清水 四百廿八石八斗五升」とある。「新編会津風土記」によれば野中・高清水はもと一村であったが、寛永六年(一六二九)別村になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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