高木家屋敷跡(読み)たかぎけやしきあと

日本歴史地名大系 「高木家屋敷跡」の解説

高木家屋敷跡
たかぎけやしきあと

[現在地名]上石津町宮

旗本高木三家の屋敷跡。三家ともみや地内にあるが、遺構をとどめるのは西家のみ。高木氏は貞政のとき斎藤道三に従い、のち駒野こまの(現海津郡南濃町)今尾いまお(現同郡平田町)に拠っていた。貞久の代に織田氏に属した。のち貞久の長男貞家は東家、次男貞利は西家、貞家の子貞俊は北家のそれぞれ祖となる。豊臣秀吉朝鮮出兵に加わり、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦の戦功で一族各々加増をみ、同六年所領を石津郡多良たらとき両郷に移した。慶長郷帳では高木三家領として高四千三〇〇石余となっており、寛永六年(一六二九)の徳川家光朱印状によれば、西家高木貞勝領は高二千三〇四石余(市田文書)、同じく東家高木貞友領は高一千石余(東高木文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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