高塚遺跡(読み)たかつかいせき

日本歴史地名大系 「高塚遺跡」の解説

高塚遺跡
たかつかいせき

[現在地名]岡山市高塚

平成元年(一九八九)からの調査により、大規模な遺跡の状況が明らかになった遺跡。吉備きび高原から流下した足守あしもり川が平野に出て、すな川・まえ川と合流する位置にあり、氾濫と川道の遷移によりかなりの部分は失われているようである。

遺跡の形成は弥生時代中期の最終末に始まるが、集落が大きく形成されるのは後期になってからである。後期の上東式土器の古段階になると、多数の竪穴住居や貯蔵ピットなど遺構が分布している。

高塚遺跡
たかつかいせき

[現在地名]村大字藺生

藺生いゆう小字高塚にある遺跡。東に都盆地を見下ろす標高四八〇メートル前後の台地を占め、初瀬はせ川の水源地にあたる。昭和二八年(一九五三)縄文早期の押型文土器が発見され、県下における最も古い時代の遺跡として有名となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報