高千穂神社(読み)たかちほじんじや

日本歴史地名大系 「高千穂神社」の解説

高千穂神社
たかちほじんじや

[現在地名]高千穂町三田井

三田井みたいの西方、高千穂峡谷に近い五ヶ瀬川の北東岸の丘陵上に位置する。祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊ほか五神の高千穂皇神と三毛入野命ほか九神の十社大明神。古代には高知保皇神とよばれ、中世には高知尾社・十社大明神と称した。明治四年(一八七一)三田井神社と改称したが、同二八年に現在名に改められた。旧村社。社伝によれば、神武天皇の兄三毛入野命が創建したという。「続日本後紀」承和一〇年(八四三)九月一九日条によると、高知保皇神が無位から従五位下を授けられている。天安二年(八五八)清和天皇即位を契機とすると思われる日向国内五神に対する神階昇叙のとき、高知保神は従五位上から従四位上となった(「三代実録」同年一〇月二二日条)。高知保神が官社に列せられた時期は明らかでなく、天安二年の時点で日向国内最高の神位をもっていたにもかかわらず、「延喜式」神名帳には載せられないなど不明の点が多い。文治五年(一一八九)の十社大明神記(高千穂神社文書)には神武天皇の王子正市伊がここに君臨していた大生鬼を退治し、この地を治め、正市伊とその子孫らが十社大明神として祀られたという。正和二年(一三一三)に成立した「八幡宇佐宮御託宣集」所引の阿蘇縁起によれば、八幡神・阿蘇神・高知尾神を兄弟として、高知尾は神武天皇の二郎の子であるとする。

「平家物語」巻八の豊後の緒方三郎維義(惟栄)にまつわる話に高知尾明神の名が現れる。緒方氏すなわち豊後大神氏の祖先である「あかゞり大太」の父は日向境のうば嶽の岩屋に住む大蛇であり、「件の大蛇は日向国にあがめられ給へる高知尾の明神の神体なり」と記す。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高千穂神社」の意味・わかりやすい解説

高千穂神社
たかちほじんじゃ

宮崎県西臼杵(にしうすき)郡高千穂町大字三田井(みたい)に鎮座。天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)ほか五柱の神々を高千穂皇神として祀(まつ)り、三毛入野命(みけぬのみこと)ほか九柱の神々を十社大明神と称し、ほかに七柱の神々を合祀(ごうし)している。社伝によれば、当社の創建は人皇第11代垂仁(すいじん)天皇の御宇という。『続日本後紀(しょくにほんこうき)』「承和(じょうわ)十年(843)」によれば、无位高智保(むいたかちほ)皇神に従(じゅ)五位下が、『三代実録』「天安(てんあん)2年(858)」に従四位下が授けられたと記されている。例祭は4月16日。特殊神事として旧暦12月3日に猪掛(いかけ)祭が行われる。農事に関連深い古神事で、古代神楽(かぐら)の原型をとどめる「笹(ささ)ふり神事」や「猪狩(いか)り」によって、その年の吉凶を占う。また11月22日より23日まで、重要無形民俗文化財に指定されている高千穂夜(よ)神楽が行われる。

[落合偉洲]


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デジタル大辞泉プラス 「高千穂神社」の解説

高千穂神社

宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。社伝では第11代垂仁天皇の時代の創祀とされる。祭神は高千穂皇神、十社大明神。日本神話の「天孫降臨」の地とされ多くの神社がある同地で、高千穂郷八十八社の総社に位置づけられる。1778年に建てられた本殿は国の重要文化財に指定。

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