駒止峠(読み)こまどとうげ

日本歴史地名大系 「駒止峠」の解説

駒止峠
こまどとうげ

南郷村あずま田島たじま針生はりゆうを結ぶ道の峠で、寛文五年(一六六五)伊南郷村々改帳(馬場家文書)入小屋いりごや村の項に、同村東一五里にあり、伊南いな伊北いほう南山とを結ぶ往来で、「嶝路九折ニ而峠迄登ル事十五里、南山ノ内針生村行程三十里、駄馬通」とある。東から登るとこの旧道戸板といた沢をさかのぼり、標高一一六八メートルの鞍部を越し、さらに峠を越えて針生に向かう。古くは大峠と称していたが、尾瀬大納言が箕の輪みのわ峠と名付け、その後以仁王の馬が険しさのあまり止まったので駒止峠というようになったと伝える。貞享二年(一六八五)の「伊南古町組郷村之品々書上帳」には入小屋村から針生村への道として駒戸越とあり、「新編会津風土記」、天明八年(一七八八)の廻国使案内手鑑(馬場家文書)などには駒戸峠とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報