馬苦労町(読み)ばくろまち

日本歴史地名大系 「馬苦労町」の解説

馬苦労町
ばくろまち

[現在地名]上野市小田おた

西之丸にしのまるの西に位置する。「茅栗草子」に「上野城下に小田町といふあり、小田郷の領にはあらず、上野塔世坂の東にて、本町通の西なり、当代藤堂式部北の長屋、渡辺将監の門前也、小田につゞくがゆへに名づくとかや」とあるが、この地は「累世記事」(上野市立図書館蔵)に寛永一一年(一六三四)一一月七日「今朝辰之上刻、上野小田町鍵屋之前三辻にて出合首尾能く仇討いたし」とある、いわゆる荒木又右衛門の伊賀越仇討が行われた鍵屋の辻かぎやのつじ(県指定史跡)を含んだ一帯の地である。寛永末頃の古図(岡森明彦氏蔵)には「ばくろ町」と記される。

長田西蓮ながたさいれん寺の過去帳の天正一八年(一五九〇)から慶長一九年(一六一四)の分に、小田と小田町(あるいは上野小田町)と使い分けているから「茅栗草子」説のように、上野小田町と小田村は別個の場所である。小田町は同過去帳には大田おた町・上野大田町・上ノヲタマチなどと記され、当時かなりの人家があったことがわかる。筒井定次が天正一三年上野入部後築城し、北谷きただに口を表門とし、西に大手門を構えたという「高山公実録」の記事から考えて、当町は大手門の一つにあたり、積極的に町づくりがなされた地域と想像される。

馬苦労町
ばくろうまち

[現在地名]六郷町六郷 馬町うままち

六郷より角館かくだてへ通ずる角館街道筋にあり、南はこめ町、西は本道ほんどう町・かみ町に接する。

宝永七年(一七一〇)六郷本館村より願書(六郷町郷土志重要資料)に「御伝馬七日半、御賄九日、市壱斎、見せ賃拾六〆文程」とある。寛保二年(一七四二)うら町・本道町は伝馬役からはずされ、その分のうち「廿日より晦日迄馬苦労町ニ可相勤」ことになり、市日も一二斎のうち「三日米町馬苦労町ニ壱ケ月替壱日二日ニ振分ケ立置可申候」こととなった(「御伝馬除屋鋪駅場方品々亀鑑」六郷町郷土史料)

馬苦労町
ばくろうまち

[現在地名]能代市檜山字檜山町

檜山町の入口にあたる。羽州街道の檜山川に架かる大橋を渡った所から、おお町につながる角まで長さ一三九間。享保一三年(一七二八)檜山一円御絵図(秋田県庁蔵)では道の北側に町屋があり、天保二年(一八三一)檜山絵図(秋田県庁蔵)では両側にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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