本町通
ほんちようどおり
[現在地名]新潟市本町通一―一二番町
大川前通の西側に並行して南北に連なる町で、元和三年(一六一七)堀直寄の政策によって新たに開発された。当初新町と称し、開発にあたっては家作の日限を定めて督励する一方、旧来の本町(のちの古町)や片原の町場が衰微しないようはかっている。また当町で扱う商品は米穀や海産物とされた(「新潟新町材木町建設覚」新潟町会所文書)。同時に玉木太郎兵衛ら四名が肝煎に任ぜられた(同文書)。通りの南から順次北へ上一ノ町から六ノ町まで連なり、広小路の先は風間小路までが十七軒町、御祭堀までが十四軒町、その先は横町であった(慶応二年新潟分間絵図「新潟市史」所載)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報