飯田竜太(読み)イイダリュウタ

デジタル大辞泉 「飯田竜太」の意味・読み・例文・類語

いいだ‐りゅうた〔いひだ‐〕【飯田竜太】

[1920~2007]俳人山梨の生まれ。蛇笏だこつの四男。俳誌雲母うんも」を蛇笏から継承して主宰自然叙情的に表現した作品を残し、俳壇第一人者として活躍した。句集忘音ぼうおん」で読売文学賞受賞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯田竜太」の解説

飯田竜太 いいだ-りゅうた

1920-2007 昭和後期-平成時代の俳人。
大正9年7月10日生まれ。飯田蛇笏(だこつ)の4男。郷里の山梨県境川村(現笛吹市)で「雲母(うんも)」の編集にあたり,昭和37年から主宰。現代的な感性で自然を叙情ゆたかに表現し,44年「忘音」で読売文学賞。55年芸術院恩賜賞。59年芸術院会員。平成4年「雲母」を通巻900号で終刊にした。平成19年2月25日死去。86歳。国学院大卒。句集に「百戸の谿(たに)」,著作に「無数の目」など。

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世界大百科事典(旧版)内の飯田竜太の言及

【俳句】より

…虚子もさきの《虚子句集》の序で〈俳諧の発句,即ち今日いふところの俳句〉と述べている。 飯田竜太は,俳句は〈日本人なら誰もが持っている感性〉(《山居四望》1984)を基本とする詩だと説いているが,前衛派と伝統派の相克を通して,俳句はそうした共通の感性を不断に形成しているといえよう。中村草田男の〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉,加藤楸邨(しゆうそん)の〈鮟鱇(あんこう)の骨まで凍ててぶちきらる〉などは,俳句による日本人の感性の刻印であった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」