飯尾元連(読み)いのお もとつら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯尾元連」の解説

飯尾元連 いのお-もとつら

1431-1492 室町時代の幕府官僚。
永享3年生まれ。飯尾貞連(さだつら)の長男康正(こうしょう)元年室町幕府の奉行人となり,恩賞奉行公人(くにん)奉行などをつとめる。文明17年前将軍足利義政の支持する奉行衆と,将軍足利義尚(よしひさ)に近侍する奉公衆とが対立したとき,義尚の怒りにふれて奉行人四十数名と剃髪(ていはつ)隠退した。のち赦免され,入道のまま復職。延徳4年5月10日死去。62歳。通称は左衛門尉(じょう),大和入道。法名は宗勝。姓は「いいお」「いいのお」ともよむ。

飯尾元連 いいお-もとつら

いのお-もとつら

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の飯尾元連の言及

【伺事記録】より

…室町時代の記録。飯尾元連の1490年(延徳2)の記録と,その孫飯尾尭連の1539‐47年(天文8‐16)の記録よりなる。著者はともに室町幕府奉行人。…

【唐船奉行】より

…1434年(永享6),明へ渡航した船の帰朝に際して飯尾貞連,為行が〈唐船方奉行〉に任じられてこの受入れを管掌したことが《満済准后日記》に見える。64年(寛正5)の遣明使節派遣に際しては飯尾元連が〈唐船奉行〉あるいは〈唐奉行〉と呼ばれてこれを管掌し,66年(文正1)の琉球船来航に際しては同じく元連が〈琉球之奉行〉としてその積荷を管理している。また同年の琉球使節3人の将軍引見は元連と飯尾之種が奉行している。…

※「飯尾元連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」