額部郷(読み)ぬかべごう

日本歴史地名大系 「額部郷」の解説

額部郷
ぬかべごう

和名抄」高山寺本に「額部」と記し、「加久无」と訓じるが、刊本では「奴加倍」と訓じる。同名の郷は上野・備中両国にあり、これと類似する「額田郷」は大和・河内・伊勢・参河・上総美濃・越前・加賀・備後筑前の一〇ヵ国にも及ぶが、いずれも郡郷制の施行以前は額田部の三字名であったと思われるから、「ぬかべ」と読むことが妥当であろう。

この地に拠ったと思われる額田部氏関係の記事を列挙すると、天平一〇年(七三八)周防国正税帳(正倉院文書)に「長門国豊浦郡擬大領正八位下額田部直広麻呂」、「続日本紀」同一二年九月二四日条に「差長門国豊浦郡少領外正八位上額田部広麻呂、将精兵四十人、以今月廿一日発渡」、同書神護景雲元年(七六七)四月二九日条に「長門国豊浦団毅外正七位上額田部直塞守献銭百万、稲一万束、授外従五位上、任豊浦郡大領」の三つがある。

額部郷
ぬかたべごう

「和名抄」高山寺本は「乃倍」、東急本は「奴加多倍」の訓を付す。平城宮跡から木簡が出土している。

<資料は省略されています>

「各」字は「額」字の省画で額田部を里(郷)名としていたことは明らかである。「里」とあって「郷」と記さないのは、霊亀元年(七一五)の式によって郷里制の施行される以前の制を伝えるとも考えられるが、当郡の場合ほかに天平一六年(七四四)の紀年を記す木簡でも「里」と記す例があり、本来は郷と記すべきところを里と記したとみるべきだろう。

額部郷
ぬかべごう

「和名抄」高山寺本は「額田部」と記載し訓を欠き、東急本は「額部」で「奴加部」と訓を付す。額部は額田部の「田」が脱落したもので、諸国郡郷名は好字二字に従ったものであろうか。明治二二年(一八八九)南後箇みなみごか野上のがみ岡本おかもと岩染いわそめの各村を合併して額部村(現富岡市)が成立した。村名の由来について「北甘楽郡史」は、田篠の駒形たじののこまがた(現富岡市)に「奴加部の井」があり、田篠・高瀬たかせ野上・後箇よりかぶら川を越えて旧吉田よしだ(現富岡市)辺りを、かつて「額部庄」と称したからだとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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