韓泊(読み)からのとまり

日本歴史地名大系 「韓泊」の解説

韓泊
からのとまり

三善清行の延喜一四年(九一四)四月二八日の意見十二箇条行基が設置したという五泊の一つとして韓泊がみえ、西のむろう(室津、現御津町)、東の魚住うおずみ(現明石市)からそれぞれ一日の行程であるという。正応二年(一二八九)九月二九日の伏見天皇宣旨案(東大寺文書)に韓泊がみえるが、行基の五泊としてあげられたもので、それ以後韓泊の名は失われたらしい。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「韓泊」の意味・わかりやすい解説

韓泊
からのとまり

兵庫県姫路市的形(まとかた)町にあった古代の港。五泊(ごはく)の一つ。『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)』にみえる同寺領の播磨(はりま)国印南(いなみ)郡「加良止麻利山(からとまりやま)」は、行基(ぎょうき)開基伝承をもつ海岳寺の裏山の字(あざ)西泊り山、東泊り山に比定しうるので、韓泊はその近傍に存在したものと思われる。三善清行(みよしきよゆき)の『意見封事(いけんふうじ)十二箇条』によると、公家(こうけ)(朝廷)は大輪田(おおわだ)泊とともに、この泊をも修造したとあるが、しだいに堆積(たいせき)によって衰微し、西隣の福泊(ふくどまり)にその地位を譲った。

[栄原永遠男]

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世界大百科事典(旧版)内の韓泊の言及

【邑久[町]】より

…西部に吉井川三角州の千町(せんちよう)平野が開け,東部は丘陵地からなる。東端の虫明(むしあけ)は岡山藩家老伊木氏3万石の城下町で,古くは韓泊(からどまり)と呼ばれた朝鮮使節寄港地であった。千町平野は県下有数の穀倉地帯で,丘陵部では果樹・野菜栽培が行われる。…

【瀬戸内海】より

…本州,四国,九州に囲まれた日本最大の内海。北部一帯の中国山地,中国高原,冠山山地,西部の九州火山地域および九州山地,南部の四国山地,南東部の紀伊山地に囲まれた西日本内帯に属する陥没地帯である。一般的には友ヶ島水道(紀淡海峡),鳴門海峡,豊予海峡,関門海峡の4海峡(瀬戸)によって外海と隔てられた内海を指し,この範囲での島(満潮時の周囲0.1km以上)の数は約700(うち有人島は約150)である。瀬戸内海環境保全特別措置法では,南は和歌山県日ノ御埼(ひのみさき)~徳島県蒲生田(かもだ)岬を結ぶ線,愛媛県高茂岬(こうもざき)~大分県鶴御崎(つるみさき)を結ぶ線,北は山口県火ノ山下灯台~福岡県門司崎灯台を結ぶ線と陸地とによって囲まれた,紀伊水道,大阪湾,播磨灘,備讃瀬戸,備後灘,燧(ひうち)灘,芸予海峡,安芸灘,広島湾,伊予灘,周防灘,別府湾,豊後(ぶんご)水道の水域および外海の響(ひびき)灘の一部を含めている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」