意見十二箇条(読み)いけんじゅうにかじょう

改訂新版 世界大百科事典 「意見十二箇条」の意味・わかりやすい解説

意見十二箇条 (いけんじゅうにかじょう)

914年(延喜14)4月,式部大輔の三善清行密封提出した意見書。まず序論では律令国家財政の衰退ぶりを具体的に指摘し,以下12ヵ条の大半(1,3,8~12条)は,かつて備中国司(受領)として苦労した体験に基づき,地方行政上の現実的な障害除去を主張している。ほかに貴族の華美抑制や中下級官人の待遇・定員是正などを要望した個所(2,4~7条)もかなり説得力に富み,その一部は醍醐天皇朝(藤原忠平政権下)の施策に採用されている。《本朝文粋》《群書類従》《日本思想大系》所収
意見封事
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百科事典マイペディア 「意見十二箇条」の意味・わかりやすい解説

意見十二箇条【いけんじゅうにかじょう】

914年に式部大輔(しきぶのたいふ)三善清行(みよしきよゆき)が醍醐(だいご)天皇に密封提出した意見書。12ヵ条からなる。かつて清行は受領(ずりょう)として備中国の国司(こくし)の地位にあったが,その時の経験に基づき,地方行政上の障害の除去などを12ヵ条の大半で主張。そのほか貴族の華美抑制,中級・下級官人の待遇改善および定員是正などを訴えている。→意見封事

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「意見十二箇条」の解説

意見十二箇条
いけんじゅうにかじょう

意見封事(ふうじ)十二箇条とも。914年(延喜14)4月,参議三善清行(みよしのきよゆき)が醍醐天皇諮問に答えて提出した政治意見書。序論と12カ条の建議からなる。当時直面していた政治的・社会的矛盾を的確に指摘しつつ,その打開策をものべたもので,意見封事のなかでも最も優れたものとされる。とくに律令政治の衰退のありさまを,備中国下道郡邇磨(にま)郷の課丁(かてい)の減少を例にとって論じた序論は有名である。「日本思想大系」所収。

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世界大百科事典(旧版)内の意見十二箇条の言及

【意見封事】より

…たとえば,759年(天平宝字3)には,中納言,参議,少僧都,播磨大掾らの封進した律令制刷新策が採用頒行されており,また823年,公卿に限って徴された意見は,翌年(天長1)良吏賢才登庸策六箇条が採択施行されている。さらに,914年(延喜14)三善清行の奉った《意見十二箇条》と957年(天徳1)菅原文時の奉った《封事三箇条》(《本朝文粋》等所収)は,延喜・天暦時代の名文としても著名。ただし前者には具体的な問題点と対応策が明示されているのに対して,後者は抽象的,懐古的な叙述に終わっている。…

【課丁】より

…したがって,正丁数に換算された課丁数を確保することが,律令国家の財政の基本となり,課丁数の増減は国司や郡司の勤務評定の重要なデータとされた。三善清行の有名な《意見十二箇条》でも,660年(斉明6)には2万の軍士を徴発したという地名説話をもつ備中国下道郡邇磨(にま)郷の課丁数が,天平神護年中(765ころ)には1900余人に,貞観の初め(860ころ)には70余人に,893年(寛平5)には老丁2人・正丁4人・中男3人に減じ,911年(延喜11)にはついに0となっていることを例にあげて,国家財政の危機をうったえている。蠲免(けんめん)【吉田 孝】。…

※「意見十二箇条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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