面高浦(読み)おもだかうら

日本歴史地名大系 「面高浦」の解説

面高浦
おもだかうら

[現在地名]西海町面高郷

佐世保させぼ湾に臨む古来からの湊津。天正二〇年(一五九二)五月二九日、朝鮮半島に出陣する島津氏の兵船はかば島・野母のも(現野母崎町)を経由して六月四日「おもたかと申村」の前に係留し、五日未明より平戸に向かった(「天正年中日々記」旧記雑録)。同年六月二日島津義久らは野母湊を出て四日「沢潟」に至り、五日に平戸に向かっている(「島津義久譜」同書)。なお「沢潟」にヲモタカの訓を付している。慶長一四年(一六〇九)島津氏の進攻のあと琉球王国の尚寧王は江戸に連行される際、五月二五日樺島に着き、二六日出帆して沢潟に泊まり、筑前周防を経て瀬戸内に入っている(喜安日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報