青木郷(読み)あおきごう

日本歴史地名大系 「青木郷」の解説

青木郷
あおきごう

江戸期の青木村一帯に比定される中世の郷名。永和四年(一三七八)三月二日の駿河守護今川泰範書下(満願寺文書)によると、「青木郷」内の田地一町余が満願まんがん寺住持心栄に安堵されている。その後、応永二四年(一四一七)七月一八日の駿河守護今川範政書下、永正一五年(一五一八)一〇月九日の今川氏親判物、天文二年(一五三三)一二月一〇日の今川氏輝判物(いずれも同文書)当郷内一町余の寺領が満願寺に安堵されている。同一八年八月一一日の駿府浅間社社役目録(村岡大夫文書)および永禄元年(一五五八)八月一三日の今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)で、駿府浅間社(静岡浅間神社)の五月流鏑馬郷役一貫六〇〇文を負担している。

青木郷
あおきごう

和名抄諸本とも文字異同はなく、訓を欠く。「太宰管内志」は「阿乎支と訓むべし」とする。遺称地名として中世の青木庄近代の青木村(ともに現城島町)がある。「大日本地名辞書」には「今青木村存す、木室きむろ江上えかみ村も此郷域ならん、城島の南にして、筑後川の東畔なり」と記される。

青木郷
あおきごう

「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、高山寺本の訓「安乎岐」、伊勢本・東急本・元和古活字本の訓「安乎木」、名博本の傍訓「アヲキ」から「あおき」と読む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報