青景銀山(読み)あおかげぎんざん

日本歴史地名大系 「青景銀山」の解説

青景銀山
あおかげぎんざん

[現在地名]秋芳町大字嘉万 芝尾

秋吉あきよし台北斜面、芝尾しばおにあり、中世末期から近世初頭にかけて繁栄した銀山の跡で、廃坑が一つ残る。

「注進案」には「芝尾と云地名、由来不詳候へ共、山領に隣りて前に所謂銀山当所の南山に有、吹屋床にて、至て繁昌し町並有之、家数千軒におよびしといふ」とあり、往古の繁栄の有様がうかがえる。その時期について同書は、北隣の字山領さんりようの地名由来を記す中で「天正・寛永の比、当村銀山大盛りに付」と述べ、毛利氏八箇国時代分限帳には青景銀山領として一一七石九升四合を記す。

慶長一五年(一六一〇)検地帳には青景郷に町屋敷が九九軒記されながら、寛永三年(一六二六)の熊野帳以降の検地帳には見当たらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報