青景村(読み)あおかげむら

日本歴史地名大系 「青景村」の解説

青景村
あおかげむら

[現在地名]秋芳町大字嘉万かま

秋吉あきよし台の北麓に沿って、西流する青景川(厚東川の支流)流域にある村。鐙垰あぶみだおを東に越えればあか(現美東町)で、その北に桂木かつらぎ山がそびえる。北と西は嘉万村、南は秋吉村。青景川流域には小面積の条里遺構が残り、比較的早くから開かれていたと思われるが、隣村嘉万村の条里方位とは異なっており、開発時期を異にしている。

鎌倉幕府の御家人青景氏が、初代秀通以来当地地頭職を伝領したと伝えるが(秋芳町史)、青景の文献上の初見は、貞和四年(一三四八)一〇月の武久季幸軍忠状(武久文書)で、越後守高師泰の軍に従った武将の中に青景五郎太郎の名がみえる。なお、「門多信行譜録」の青景九郎太郎秀通に関する伝書に「青景別府上桑原庄給之、此時より改青景氏」とある青景別府は、当時嘉万村内であった青景の総称であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報