雲樹寺(読み)うんじゆじ

日本歴史地名大系 「雲樹寺」の解説

雲樹寺
うんじゆじ

[現在地名]安来市清井町

清井きよい町西部の北端近くにある。天長雲樹興聖禅寺・大興禅寺・雲樹禅林寺ともいい、山号は瑞塔山。本尊釈迦如来。臨済宗妙心寺派。もと法灯派であったが、近世初頭に妙心寺派に転じたという。開山孤峰覚明で、入宋の後に相模国などをめぐって出雲に入り、元亨二年(一三二二)宇賀うか庄に雲樹寺を開いたという(「雲樹寺開山三光国師碑銘」など)一説に開山は正中二年(一三二五)ともいわれる(「孤峰和尚行実」続群書類従)。創建者は牧新左衛門入道善興といわれ(島根県史)、得宗御内人のなかに牧氏が確認できることから、当時宇賀庄は得宗領で牧氏がその地頭代に任命され覚明を招いて雲樹寺を創建したとも考えられる。孤峰覚明は、建武二年(一三三五)一〇月五日に後醍醐天皇から国済国師、正平二年(一三四七)四月三日には後村上天皇から三光国師の称号を与えられた(「後醍醐天皇徽号勅書写」「後村上天皇徽号勅書写」雲樹寺文書、以下断りのない限り同文書)

後醍醐天皇の隠岐配流ののち南朝方天皇の帰依を受け、正平八年五月二二日に雲樹寺(大興禅寺)の造営料所として近江国大原おおはら(現滋賀県山東町)地頭職、同国箕浦みのうら(現同県近江町)地頭職、丹波国宮田みやだ(現兵庫県西紀町)領家職、播磨国弘山ひろやま(現同県龍野市)地頭職、備前国須恵すえ(現岡山県長船町)地頭職を(後村上天皇綸旨)、同一八年八月三日には楯縫南北たてぬいなんぼく(現平田市)地頭職を寄進された(「後村上天皇綸旨写」南狩遺文所収興国寺所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「雲樹寺」の意味・わかりやすい解説

雲樹寺【うんじゅじ】

島根県安来(やすぎ)市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊釈迦如来。1322年地頭牧氏が開山孤峰覚明(こほうかくみょう)(三光国師)を招いて開創という。室町時代には諸山に列した。創建当初の四脚門,絹本着色山光国師像などの絵画,紙本墨書光厳(こうごん)院宸翰御消息などの古文書,1374年寄進の銅鐘・元弘(げんこう)2年(1332年)銘の銅製経筒などは重要文化財

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デジタル大辞泉プラス 「雲樹寺」の解説

雲樹寺

島根県安来市北部にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞塔山、本尊は釈迦如来。孤峰覚明の開山と伝わる。四脚門(大門)、絹本著色三光国師像などは国の重要文化財に指定

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