阿部正能(読み)あべ まさよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿部正能」の解説

阿部正能 あべ-まさよし

1627-1685 江戸時代前期の大名
寛永4年生まれ。阿部正澄長男幼時に父が亡くなり,祖父阿部正次の所領から1万石を分与されて,寛永15年上総(かずさ)(千葉県)大多喜藩主となる。慶安4年従弟の武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主阿部定高より6000石を分与される。のち阿部忠秋の養子となり,寛文11年武蔵忍(おし)藩(埼玉県)藩主阿部家2代となる。老中をつとめた。貞享(じょうきょう)2年4月13日死去。59歳。初名は正令(まさよし)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の阿部正能の言及

【忍藩】より

…武蔵国埼玉郡に藩庁を置いた譜代中藩。戦国末期,成田長泰・氏長の居城であったが1590年(天正18)豊臣秀吉の関東攻略により落城。同年8月徳川家康は深溝(ふこうず)松平家忠を利根川沿岸諸村1万石の地に配置した。家忠は伊奈熊蔵らの検地をうけた後,領地の経営にあたったが92年(文禄1)下総国上代(かじろ)に転じ,同年東条松平忠吉が10万石で入封し,成田氏旧臣などを加え家臣団を強化した。また95年利根川の流路変更の大工事を達成し,耕地の拡大に成功した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」