日本大百科全書(ニッポニカ) 「間引き(人口制限)」の意味・わかりやすい解説
間引き(人口制限)
まびき
胎児、嬰(えい)児を人為的に殺す人口制限の手段を、農作物などの間引きになぞらえていう。よばい、強姦(ごうかん)、不義密通など婚外婚によるもののほか、貧困によるものが多かった。とくに江戸時代中期以降、貢租の増徴や飢饉(ききん)などで農民生活が苦しくなり、口減らしのための間引きが少なくなかった。領主は労働力の減少、田畑の荒廃を恐れて、しばしば禁止令や赤子養育仕法(あかごよういくしほう)などを出して防止に努めたが、明治時代まで続いた。当時は妊娠以前に産児を調節する知識や技術が乏しかったから、妊娠または分娩(ぶんべん)後に間引いた。妊娠中の手段としては、もみおろし(腹をもむ)や、ほおずきの根を差し入れて流産を促す(掻爬(そうは))などがあり、しばしば母体は危険にさらされた。分娩後の間引きは残酷で、膝(ひざ)やふとんで窒息させたり、臼(うす)ごろといって石臼で圧殺したり、紙はりといってぬらした紙を顔にはって窒息させたりした。たいてい取上げ婆(ばば)(免許制以前の産婆)が処理した。霊魂信仰の考え方では、生児は成長に応じて次々に霊魂を付与し人間らしくなっていくので、胎児、嬰児、幼児の人権は重視されていなかった。妊婦、産婦の心情はいまも昔も変わりがないが、社会的な人権意識が足りなかった。間引いた子は自宅の床下や縁の下に埋める例もあり、生まれ変わることを期待する気持ちがあった。間引きのことを「返す」「戻す」などというのはそのためであり、桟俵(さんだわら)にのせて川に流す例もある。
[井之口章次]