門屋村(読み)かどやむら

日本歴史地名大系 「門屋村」の解説

門屋村
かどやむら

[現在地名]西木村門屋

南流する檜木内ひのきない川の東岸で、阿仁あに街道が通る。本村と支郷が散在し、南と東は上荒井かみあらい村、対岸小山田こやまだ村。

天正一八年(一五九〇)の出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳(戸沢文書)に門屋村とあり、田地八六町七段七畝、分米一千八石八斗、畑屋敷合わせて六町四反九畝、分米五九石二斗二升、合計一千六八石二升とあり、戸沢氏領として安堵された。

門屋村
かどやむら

[現在地名]静岡市門屋

安倍川中流の左岸沿い、竜爪りゆうそう山の南西尾根端に位置し、南はしも村。戦国期には三輪みわ郷に属する。天正一二年(一五八四)一二月三日に作成され徳川氏奉行中に提出された三輪郷棟別指出(稲葉文書)に「門屋村」の住人の家二軒と寺地一軒が記される。同一五年四月に作成され同じく徳川氏奉行衆に提出された三輪郷社領指出(同文書)には「門谷八幡領」六〇〇文とある。領主は安西外あんざいそと新田と同じ。元和六年(一六二〇)には村高一四石余で、七石余が川成であった(「可納門屋村申年御年貢米事」白鳥家文書)

門屋村
かどやむら

[現在地名]浜岡町門屋

いけ新田村塩原しおばら新田の北、新野にいの川に注ぐ門屋川右岸に位置する。「遠江国風土記伝」に「高松山の北に在り、高松権現の御門屋なり」とある。高松たかまつ権現(現高松神社)は高松山上に鎮座。中世は秋貞あきさだ郷に含まれた。文保二年(一三一八)一一月二〇日の安達時顕裁許状(中山文書、以下断りのない限り同文書)に、笠原かさはら庄一宮(現高松神社)の社領の北境として、「藤井宮南峰古布間宮東道門屋下」とみえる。

門屋村
かどやむら

[現在地名]岐阜市門屋・門屋野崎かどやのざき門屋勢引かどやせひき門屋門かどやかど門屋溝上かどやみぞかみ

三輪みわ村の南西にある。永正一一年(一五一四)一月二四日の大坊長怡譲状案(真長寺文書)に「門屋町河内守殿より請取分」とあり、永禄一一年(一五六八)七月日の深尾二郎兵衛宛織田信長朱印状(深尾文書)に「拾五貫文 かとや町彦太郎分加地子」とみえるが、いずれも当地をさすものか。また町場化していたことを示すものか。慶長五年(一六〇〇)の富田伊豆守村高沙汰書(国立史料館蔵)には山県郡内として、門屋町二五六石余とあり、関ヶ原の合戦後、幕府領であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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