長門石村(読み)ながといしむら

日本歴史地名大系 「長門石村」の解説

長門石村
ながといしむら

[現在地名]久留米市長門石町・長門石一―五丁目

筑後川右岸に位置し、東は筑後川を挟み京隈きようのくま村および久留米瀬下せのした町。北・西・南を筑後川の旧流路がめぐり、北は肥前国養父やぶ田出島たでしま(現佐賀県鳥栖市)など、西は同国三根みね千栗ちりく(現同県北茂安町)。慶長年間(一五九六―一六一五)筑後川を改修し、当村の南東を直流する流路を開削、当村は筑後川に囲まれた島状を呈することとなった。正保四年(一六四七)の大小道之帳によれば久留米から三四町三〇間で、当村と瀬下町間の筑後川瀬ノ下船渡は幅三五間・深さ七尺。元禄八年(一六九五)の郡中品々寄(県史資料九)によると川幅五五間、舟数二。元禄国絵図によると千栗村への船渡しもあり、川幅六〇間、同村まで四町三八間。

文禄二年(一五九三)三月一八日の高良社神職名知行注文案(歴世古文書)に長門石とみえ、座主領一二町があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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