長和(町)(読み)ながわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長和(町)」の意味・わかりやすい解説

長和(町)
ながわ

長野県中東部、小県郡(ちいさがたぐん)にある町。2005年(平成17)同郡長門町(ながとまち)、和田村(わだむら)が合併して成立。松本市の南東にあたる。町域の西に美ヶ原高原(うつくしがはらこうげん)、南には霧ヶ峰高原が連なり、南東の蓼科高原(たてしなこうげん)にかけてビーナスラインで結ばれる。ほかに国道142号、152号、254号が通じる。標高が高く冬の寒さは厳しい。積雪量は比較的少ないが、積雪期間は4か月余りと長い。町の約80%以上が山林で占められ、米作のほか、エノキダケ、リンドウ、薬用ニンジンの栽培、酪農黒曜石(こくようせき)系バーライト加工などが行われている。南西端の和田峠(わだとうげ)付近は、旧石器時代から縄文時代に石器の材料とされた黒曜石の産地として全国的に著名。江戸時代の和田峠は現在の峠道の西方約1キロメートルにあり、中山道最大の難所であった。峠を北東に下った和田宿には本陣や町家が保存され、次宿の長窪宿(長久保宿)にも本陣などの建物が残り、盛時のおもかげをとどめる。長窪宿から中山道を東へ向かい、急坂を登ると当時の松並木が残る笠取峠(かさとりとうげ)に至る。1978年(昭和53)和田峠の南方に新和田トンネルが開通し(国道142号)、峠越えは短縮された。南部茅野(ちの)市境にある大門峠(だいもんとうげ)は、古代には東山道(とうさんどう)から分かれて信濃国府へ向かう道が通り、中世には甲斐武田の信濃進攻の要路となった。長久保古町地区の東側、標高800~1100メートルの高原に町直営の学者村別荘地があり、大門峠下の姫木平(ひめきだいら)も別荘地として開発されている。面積183.86平方キロメートル、人口5600(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例