長窪宿(読み)ながくぼしゆく

日本歴史地名大系 「長窪宿」の解説

長窪宿
ながくぼしゆく

[現在地名]長門町大字長久保

現長門町のほぼ中央、依田よだ川東岸段丘上にある中山道の宿駅。安政六年(一八五九)長久保宿名変更願(石合家文書)を中之条御役所へ提出し正式に「長久保宿」と書くようになる。隣宿芦田あした宿へは笠取かさとり峠を越えて一里半、和田宿へは二里の距離である。

宿の成立は、慶長一六年(一六一一)の伝馬定書(同文書)に「一、和田よりなかくほまで駄賃荷壱駄四拾貫文」とあるから、これ以前である。元禄一〇年(一六九七)用水出入一件によると「長窪町之儀、六拾七年以前未迄ハ、下川原と申所ニ町割仕罷有候、同年満水ニ而押流申ニ付、長窪分草山之内、大沢と申所ニ数ケ所之出水御座候ニ付、右出水を用、大沢山口ニ町割仕、往還御伝馬役相勤候」(「芦田八ケ村山論論証文留帳」石合九郎兵衛家蔵)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報