鎖塚(読み)くさりづか

日本歴史地名大系 「鎖塚」の解説

鎖塚
くさりづか

[現在地名]常呂郡端野町字緋牛内

常呂ところ川支流トペンピラウシナイ川筋にある。明治二四年(一八九一)着工された北見道路のうち網走―北見峠間は網走刑務所の受刑者を使役し年内完成を強行。動員受刑者は一千一〇〇人にのぼり、粗雑な宿舎、不十分な食糧補給、過酷な労働で栄養失調から水腫病に罹患するなど二三八人の死者を出す悲惨な結果となった(小池喜孝「鎖塚」)。「網走分監沿革史」は「逃亡セル者ハ斬殺、病囚ハ斃レテソノ屍ハ風雨ニサラサレタ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎖塚」の意味・わかりやすい解説

鎖塚
くさりづか

北海道オホーツク総合振興局管内の北見市端野(たんの)町緋牛内(ひうしない)に2基残っている囚人の墓。1891年(明治24)に完成した北見道路(旭川(あさひかわ)―網走間)の工事には約1500人の囚人が服役させられ、死者は200人以上に及んだ。死亡した囚人は鎖をつけたまま土をかぶせられたり、埋められた土饅頭(どまんじゅう)の上に鎖を置かれたりしたため、この名が生まれた。1970年(昭和45)前後より北海道各地で地域住民を主体として、明治以降の北海道開拓における囚人、タコ労働、朝鮮人・中国人強制労働、少数民族問題などの底辺民衆の歴史を掘り起こし、開拓功労者として再評価し、顕彰する民衆史掘り起こし運動が盛んになった。「鎖塚」はこの運動の象徴的な史跡として有名になる。その後地元住民によって地蔵尊や観音像、鎖塚供養碑が建てられた。

[船津 功]

『小池喜孝著『鎖塚』(1973・現代史出版会)』

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