針原村(読み)はりわらむら

日本歴史地名大系 「針原村」の解説

針原村
はりわらむら

[現在地名]富山市はつやま長岡ながおか

呉羽山くれはやま丘陵の北麓、うしくび用水の支流分岐点に位置。東は同用水を挟み林新はやししん村・針原新村、西は北代新きただいしん村。針原は榛木原野の意味か。中世寒江さぶえ庄のうち。長享二年(一四八八)三月一八日の後土御門天皇綸旨(京都大学蔵宣秀御教書案)に寒江庄内針原村とみえ、同地の寺地分一千疋が河合禰宜祐氏に安堵されている。婦負郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。正保郷帳では高六九六石余、田方二六町四反余・畑方二〇町余、新田高一三八石余。承応四年(一六五五)の村御印では、草高八四二石余(蔵入)・免三ツ九厘、小物成銀四四匁一分六厘(村々御印物等書上)

針原村
はりはらむら

[現在地名]高知市針原

行川なめがわ村の北にある山村。村の東側をかがみ川が蛇行しつつ南流する。土佐郡に属し、「土佐州郡志」は領家りようけ郷の一として東西四町、南北一二町で「其土黒、戸崎・尾砂二村属此村」と記す。天正一七年(一五八九)の領家山地検帳に「針原名」とみえ、検地面積一町八反二代四歩、うち田分一町三反二八代一歩・畠分二〇代・屋敷四反四代三歩。屋敷数八、うち居屋敷四。同年の領家山切畑地検帳によると切畑二反五代三歩。

針原村
はりばらむら

[現在地名]春江町針原

南は河合鷲塚かわいわしづか(現福井市)、北は西太郎丸にしたろうまる村。中世は春近はるちか庄の地。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「針近之郷」に含まれる。村名は正保郷帳にみえ、田方一千四九七石余・畠方二五一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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