坂井郡(読み)さかいぐん

日本歴史地名大系 「坂井郡」の解説

坂井郡
さかいぐん

面積:三二六・〇二平方キロ
三国みくに町・芦原あわら町・金津かなづ町・坂井さかい町・春江はるえ町・丸岡まるおか

福井県の北端に位置し、南は福井市・吉田郡・勝山市と接し、東北は火灯ひともし(九四〇メートル)けんヶ岳(五六七・八メートル)刈安かりやす(五四七・七メートル)などの連山を境に石川県と接し、西北方は日本海に面する。九頭竜くずりゆう川下流の両岸(とくに右岸)に広がる平野部と、その周辺の山地からなるが、平野部は坂井平野とも称し、中央には十郷じゆうごう用水、それを囲むように竹田たけだ川・兵庫ひようご川が流れ、越前における最大の穀倉地帯を形成している。

地名は「和名抄(東急本)に「佐加乃為」と訓ずる。「日本書紀」継体天皇即位前紀には、継体天皇の母振媛の居住地として「三国坂中井」が記され、「釈日本紀」中の「上宮記逸文」では、これを「三国坂井県」と書改めている。「坂井郡」と記されるのは天平三年(七三一)二月二六日の越前国正税帳(正倉院文書)や同五年閏三月六日の越前国郡稲帳(同文書)以降であり、その後も、天平神護二年(七六六)一〇月二一日の越前国司解などの東南院文書や、平城宮出土木簡・長岡宮出土木簡(ともに年未詳)などにみえる。

〔原始・古代〕

芦原町波松なみまつ三国町じんおか台地からは、縄文時代草創期のものと思われる尖頭器(槍先)が発見されており、縄文時代中期の遺跡としては舟津ふなつ貝塚・井江葭いえよし貝塚(芦原町)、同晩期の遺跡としては木部東きべひがし遺跡(坂井町)などがあり、弥生時代の遺跡は、竹田川・兵庫川・九頭竜川沿いの自然堤防上などで多く発見されている。古墳時代には、横山よこやま古墳群(丸岡町坪江から金津町中川に至る山中)などにみられる巨大な前方後円墳によって強大な豪族のいたことが考えられ、当郡が継体天皇の母の出身地とされること、三国公・三国真人(日本書紀、続日本紀)とよばれた豪族の根拠地であったことなどとの関連が考えられる。

「和名抄」高山寺本には栗田くりた荒泊あらはく高向たかむこ礒部いそべ長畝のうね高屋たかや坪江つぼえ福留ふくろ海部あまんべ川口かわくち堀江ほりえの一一郷が記される。東急本には高山寺本の栗田が粟田あわたとあり、このほか郷名として余戸あまるべを記す。このうち現郡域内に比定されるのは栗田・高向・礒部・長畝・福留・坪江(現丸岡町)、川口・堀江(現芦原町)、高屋(現春江町)で、また礒部郷は三里浜さんりばま海岸辺り、余戸・荒泊は比定されていない。なお「和名抄」諸本にみえない郷として、前記の越前国司解に赤江あかえ郷、山背国愛宕郡計帳(正倉院文書)に「越前国坂井郡水尾郷」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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