土佐郡(読み)とさぐん

日本歴史地名大系 「土佐郡」の解説

土佐郡
とさぐん

面積:六三四・二六平方キロ
本川ほんがわ村・大川おおかわ村・土佐とさ町・土佐山とさやま村・かがみ

県の中央北部に位置し、東は長岡郡と南国市、西は吾川あがわ郡と愛媛県上浮穴かみうけな郡、南は高知市、北は愛媛県の伊予三島いよみしま市・宇摩うま郡・新居浜にいはま市・西条さいじよう市に接する。県境には四国山地を形成する高山が連なり、岩黒いわぐろ(一七四五・六メートル)かめもり(一八九六・五メートル)寒風かんぷう(一七六三メートル)大座礼おおざれ(一五八七・五メートル)などがそびえる。郡北部は瓶ヶ森に源を発する吉野川が曲流しながらほぼ東流して長岡郡本山もとやま町へ入るが、その間大森おおもり川・瀬戸せど川・もり川などを合せる。吉野川上流域の本川・大川両村は典型的な山村で、その地域は四国の屋根といわれている。郡中央部にも工石くいし(一一七六・四メートル)などがあるが、同山に源を発した鏡川は郡南部をほぼ南西流し、高知市に入る。平野は森川や鏡川沿いにわずかに開けるのみで、山地が大部分を占める。

〔原始・古代〕

現郡域には考古遺跡は少ないが、土佐町田井の玉屋敷たいのたまやしき遺跡は縄文中期と後期の複合遺跡で、縄文晩期遺跡には田井の八反坪はつたんつぼ遺跡がある。弥生中期の本川村たか巣山すやま遺跡(岩陰遺跡)は狩猟のためのキャンプ的遺跡、土佐山村菖蒲洞しようぶどう遺跡(洞穴遺跡)は高地性集落に関連する特殊な住居的遺跡と考えられる。なお弥生時代の銅矛が土佐町土居どい山の神やまのかみ神社、同町ほし神社に宝物として保存され、銅鐸が同町土居の琴平ことひら神社にある。

郡名は「続日本紀」神護景雲二年(七六八)一一月一八日条に「土左国土左郡人神依田公名代等一人賜姓賀茂」とみえ、「土佐国風土記」逸文に「土左の郡。郡家の西に去ること四里に土左の高賀茂の大社あり」とある。「土佐幽考」は「宝亀以来延喜以前割土佐建長岡、割長岡建香美郡」と記し、これによれば初め土佐郡はのちの長岡・香美両郡域を含んだ広大な郡であったことになるが、「編年紀事略」は香美郡は安芸郡から分れたとしている。いずれも確証はないが、通説として土佐郡は宝亀(七七〇―七八一)以降、延喜(九〇一―九二三)以前にのちの長岡郡を分置したとされている。土佐郡に成立した郷は「和名抄」東急本によれば五郷あるが、現郡域には鴨部かもべ郷が鏡村南端部付近をも含むとされるのみである。また荘園や前記「風土記」にみえる郡衙、「延喜式」神名帳記載の式内社五座も、現郡域に比定されるものはない。

〔中世〕

各地に土豪が割拠、現本川・大川両村域には本川五党と称された五氏、土佐町には森氏、土佐山村には高川氏が拠し、鏡村には大黒氏の勢力が伸びていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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