釜村(読み)かまむら

日本歴史地名大系 「釜村」の解説

釜村
かまむら

[現在地名]神郷町釜村

高瀬たかせ村の東に位置し、東は千屋ちや(現新見市)、南は村のうち足立あしだち(現同上)、北は伯耆国上石見かみいわみ(現鳥取県日野郡日南町)。上石見へは谷田たんだ(標高約五五〇メートル)を越える。新見(現新見市)から足立を通って北上、この峠を越える道は近代まで大山だいせん参や出雲参、また大山牛市へ行く博労によく利用された。集落はさんいち本村ほんむら奥谷おくだに佐角さすみ押合おしあい三坂みさか大忠おおただ田口たぐち和忠わただなどに散在。タタラや鉄穴かんな流しに関連する地名が多く、タタラ関係一七・鍛冶屋関係一〇・鉄穴関係三二の地名がある(神郷町史)

中世には高瀬村井村とともに新見庄に含まれ、文永八年(一二七一)二月二八日の新見庄領家方奥村分正検田取帳案・同作畠正検取帳案(東寺百合文書)に、田口(東田口里・西田口里)・三坂里・佐津見さつみ(佐角であろう)・渡田里(和忠であろう)などがみえ、正中二年(一三二五)の地頭方東方田地実検取帳(同文書)から当地に奥谷大明神・妙見・佐津見薬師堂・佐津見明神・疫神・地蔵堂などがあったことが知られる。

釜村
かまむら

[現在地名]西郷町釜

犬来いぬぐ村の北に位置し、東は海に臨む。竈村とも書き、塩を煮る地なのでこの村名があるという(隠州視聴合紀)。慶長一二年(一六〇七)七月の島後内釜村検地帳(佐々木家文書)によれば、田三町九反余・四五石余、石盛は上田一四・中田一二・下田一〇・下々田七・荒田七、畑方は宮田みやた牧二町余・九石余、もり牧一町一反余・四石余、犬来路いぬぐじ牧二町一反余・四石余、牧畑の石盛は上々畑八・上畑四ツ五・中上畑三ツ二・中畑二ツ五・下畑一ツ五・下々畑一ツ、屋敷地は阿弥陀堂一畝余と公文八畝を含めて三反六畝で、本百姓(御役目屋敷)九はいずれも三畝となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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