阿哲郡(読み)あてつぐん

日本歴史地名大系 「阿哲郡」の解説

阿哲郡
あてつぐん

面積:四四一・八〇平方キロ
大佐おおさ町・哲多てつた町・哲西てつせい町・神郷しんごう

県の北西端、広島・鳥取両県境に位置し、隆起準平原である吉備高原と中国山地に立地。明治三三年(一九〇〇)阿賀あが(古くは英賀)・哲多二郡が併合して成立した郡で、郡東部にもと阿賀郡に属した大佐町新見市を挟んだ西部にもと哲多郡に属した哲多町哲西町神郷町がある。大佐町と鳥取県日野ひの郡日野町との境に二子ふたご(一〇七五・二メートル)、東方真庭まにわ新庄しんじよう村・美甘みかも村との境にすずりせん(九四二メートル)京見きようみ(八五四・二メートル)などがあり、神郷町と鳥取県日野郡日南にちなん町との境に高畑たかはた(七七六メートル)たか(七一五メートル)妙見みようけん(七二四・七メートル)哲西町と広島県比婆ひば東城とうじよう町との境に虫原むしはら(九〇七・八メートル)などがそびえる。これらの山々に発する諸河川はやがて高梁たかはし川に流入。耕地や集落はおおむねこれら河川の流域に展開し、上流域は砂鉄の産地として知られた。

〔原始〕

旧石器時代の遺跡では、神郷町高瀬の野原たかせののばら遺跡が知られる。鳥取県境に近い野原高原上にあり、二層(下層は姶良火山灰層より下位)から多数の石器群が検出されている。ここからは縄文土器も出土した。同じ神郷町の下神代しもこうじろには弥生時代を通じて断続的ながら継続していたとみられる新市谷しんいちだに遺跡がある。小集落跡ではあるが、交通の要衝に位置する重要な集落であったと推定され、同所の古墳時代前期の土壙墓からは、鉄材の流通を示す二個の鉄が出土している。哲西町には、弥生時代から古墳時代にかけての多数の遺跡があり、代表的なものとして上神代の西江にしえ遺跡・ひさごづか古墳、矢田の愛宕山やだのあたごやま横穴群があげられる。西江遺跡からは縄文時代晩期から古墳時代にわたる各時代の遺物が出土しているが、なかでも弥生時代前期の土器は、出土例の少ない前期前半期のもので、この地域が早くから開発されたことを示している。また同時代後期の一三二基におよぶ土壙墓群が発見されており、その一部からは特殊器台が出土した。横穴は県内ではきわめてまれで、哲西町以外では上房じようぼう北房ほくぼう町で発見されているにすぎない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報