金隈遺跡(読み)かねのくまいせき

日本歴史地名大系 「金隈遺跡」の解説

金隈遺跡
かねのくまいせき

[現在地名]博多区金の隈一丁目

福岡平野の東に位置する月隈つきぐま丘陵から派生する標高二七メートルの狭長な馬の背状の丘陵にある弥生時代の集団墓地。昭和四五年度の調査で弥生時代の集団墓が出た。これまで尾根筋に沿った八〇メートル・幅二〇メートルの範囲で甕棺墓三四八基、木棺墓・土壙墓一〇〇基余が調査された。弥生時代の集団墓の一つのまとまりであり、甕棺内に良好に保たれた一三六体の埋葬人骨から形質学的な調査成果が得られ注目された。昭和四七年(一九七二)五月に国指定史跡となり、現在墓域の一部に覆屋を設置し整備・公開している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「金隈遺跡」の解説

かねのくまいせき【金隈遺跡】


福岡県福岡市博多区金隈にある墓群。福岡市の東南郊外に所在する月隈(つきぐま)丘陵の支丘上に位置し、周囲の水田との比高は約25m。1968年(昭和43)からの発掘調査によって甕棺墓(かめかんぼ)145基、土坑墓27基、石棺墓2基を確認。甕棺墓の大多数は弥生時代中期に属し、遺跡の中心をなしていた。1971年(昭和46)の範囲確認調査で、同丘陵の中央部にも甕棺墓や土坑墓のほか、支石墓が未発掘の状態で存在することが判明したことなどから、1972年(昭和47)に国の史跡に指定された。副葬品も多数出土しているが、とくに埋葬された遺体の人骨が人類学上きわめて重要とされている。この遺跡は、弥生時代の前期後半から後期初頭にわたる一大共同墓地で、稲作経済の発展による階級分化にともなって出現した集団や個人の墓制を知るうえで注目されている。1985年(昭和60)に史跡公園として甕棺墓100基以上を覆屋内に公開し、出土遺物なども展示。西日本鉄道天神大牟田線西鉄福岡駅から西鉄バス「金隈遺跡前」下車、徒歩約4分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報