金屋子神社(読み)かなやごじんじや

日本歴史地名大系 「金屋子神社」の解説

金屋子神社
かなやごじんじや

[現在地名]赤来町上来島

来島きじま川右岸、杉戸すぎどに鎮座する。主祭神は金山彦神・金山姫神。旧村社。能義のぎ比田ひだ(現広瀬町)の金屋子神社の分霊を勧請したというが、年代は不詳(社蔵文書)。中国山地に鑪製鉄が盛んとなった頃、中来島村灰屋の助定はんやのすけさだ鑪に生れた村下の八郎右衛門がこの社に参籠し、霊験を得て鑪の踏吹天秤を考案。この普及により各地の鉄山の生産が飛躍的に向上、それとともに金屋子神の信仰も広まったという。

金屋子神社
かなやごじんじや

[現在地名]広瀬町西比田

黒田くろだにあり、金山彦命・金山姫命を祀る。旧村社。数度の火災により記録を失い由緒はつまびらかでないが、焼残りの棟札に慶安三年(一六五〇)のものがあり、それには再建とある(広瀬町史)。江戸時代には広瀬藩主の手厚い保護を受け、社殿造営・修繕や祭祀も藩により奉行されたと伝え、とくに造営の際にはそのつど藩から人夫一千人が差向けられたという。また山陰はもとより山陽大坂の製鉄関連業者の信仰が厚く、これらの人々の寄進物は莫大なものであったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報