野々下村
ののしたむら
[現在地名]流山市野々下一―四丁目・
長崎一―二丁目・
駒木 市野谷村の南東にある。同村境を布施村(現柏市)と加村を結ぶ往還が通り、この道沿いに集落をなす。また南東部の上野牧境を日光東往還が通る。近世初期、当村のうち幕府領分が分村して長崎村となった。このため同村とは村地が入交じっている。「本土寺過去帳」の妙祐尼(上・三日条)には文明五年(一四七三)の年紀があり、「野ノ下八郎」との注記があり、また妙法入(下・二五日条)には「ノヽ下」「永正九二月帰ルトテ道ニテ死ス」「マウサ陣ヨリ大ノ三郎源四郎」などとみえる。ほかに天文四年(一五三五)三月の年紀がある妙縁尼にも「孫五郎老母ノヽ下」と注がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報