重蔵神社(読み)じゆうぞうじんじや

日本歴史地名大系 「重蔵神社」の解説

重蔵神社
じゆうぞうじんじや

[現在地名]輪島市河井

河井かわい町の中央部北側にあり、祭神は天冬衣命・大国主命を主祭神とし、天之忍穂命ほか一四柱を祀る。旧県社。崇神天皇の代に鎮座し、垂仁天皇の代に田地が寄せられたと伝える(貞享二年寺社由緒書上)。「延喜式」神名帳の「辺津比ヘツヒメノ神社」とする説(三州式内等旧社記)、「鳳至フケシ比古神社」とする説があるが(「重蔵宮社記」重蔵神社文書)、いずれとも決しがたい。応永一一年(一四〇四)二月二〇日に禅重が書写した大般若波羅蜜多経第五七九巻や、同年七月二〇日に鳳至ふげし福田ふくだ談義所住僧金剛仏子賢融が書写した大般若波羅蜜多経断簡が残る。同二八年二月日の重蔵宮如意香炉銘(北徴遺文)・重蔵宮如意香炉筥底裏銘(明治神社明細帳)に重蔵宮と記される。

文明八年(一四七六)六月六日重蔵宮の講堂が建立されている(「重蔵宮講堂建立棟札拓本」重蔵神社文書)。願主は重蔵座主観音寺住持沙門金資快珍で、地頭神保式部尉光保(元保)・温井備中守俊宗ら外護者とみられる武士の名や、番匠の重蔵大工衛門次郎藤栄のほか鍛冶大工・小工・塗師の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「重蔵神社」の意味・わかりやすい解説

重蔵神社
じゅうぞうじんじゃ

石川県輪島市河井町に鎮座。祭神は天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)。本地は十輪地蔵。重蔵(へくら)宮、十蔵権現(ごんげん)、重倉(へくら)明神とも称する。『延喜式(えんぎしき)』「神名帳」能登国(のとのくに)鳳至(ふげし)郡に登載の鳳至比古(ひこ)神社、あるいは辺津比咩(へつひめ)神社にあてられる。中世、石動山(いするぎさん)天平寺(てんぴょうじ)の支配下に置かれ、七堂伽藍(がらん)を備え、多くの社僧がいた。近世に入ると、金沢藩主前田氏の庇護(ひご)を受け、鳳至一郡の惣社(そうじゃ)として栄えた。1918年(大正7)県社に列す。宝物に平安時代末期~鎌倉時代初期の作という木造菩薩(ぼさつ)面(重文)がある。8月23日の例祭(御採祭(おさいまつり))、3月1日~7日の如月祭(きさらぎまつり)は有名。能門(のと)氏が累代(るいだい)神職家を踏襲している。

三橋 健]

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