里見村(読み)さとみむら

日本歴史地名大系 「里見村」の解説

里見村
さとみむら

[現在地名]青森市橋本はしもと二―三丁目・中央ちゆうおう一―四丁目の各一部

浦町うらまち村の南にある。

元文年間(一七三六―四一)に三代窪田三郎右衛門が荒廃田を復興して成立した里見新田。初代窪田三郎右衛門は源義家の後裔で旧姓を里見と称し、青森に移住して漁師りようし町をつくり、漁師頭を命ぜられ酒造業を営んだという(青森市史)。三代三郎右衛門は元禄八年(一六九五)凶作で荒廃した廃田の復興を企て、あら川から取水して、大野おおの村領片岡かたおか前田まえだ若宮わかみやを経て青森町やなぎ町に達する里見新堰を造って新田を開いた。宝永元年(一七〇四)に許可をえ、自分物入で浦町・つつみ勝田かつた浜田はまだ荒川あらかわ沖館おきだて大野おおのの七ヵ村にわたる一〇五町五反一畝の里見新田を完成、その功により知行三〇石を賜ったという(青森市史)

里見村
さとみむら

[現在地名]木造町柴田しばた

田圃を隔てて北に桜井さくらい村、南東下相野しもあいの(現森田村)、西に川泊かわとまり村。

天和三年(一六八三)の広須御新田所図に「新田」とあり、村名改称并新村創立調(八木橋文庫蔵)によれば、享保一一年(一七二六)これまでの「仁ゐ田村」が里見村と改名された。「平山日記」の同一二年に「下六里見村元にかこ村改名」とあるが誤りと思われる。同年木造新田に属し、木造通三五ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一七町四反六畝八歩、村高一一〇・六四一石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報