酒見村(読み)さかみむら

日本歴史地名大系 「酒見村」の解説

酒見村
さかみむら

[現在地名]富来町酒見・香能かのう

大福寺だいふくじ村の南にある。高爪たかつめ山に発し、小町こまち川・栢木かいのき川・給分きゆうぶん川を合せながら南流する酒見川は、当村集落付近で西に迂回して日本海に流入する。垣内谷内酒見やちさかみがある(三州地理志稿)。酒見川左岸の沖積地と低砂丘斜面にある酒見新堂さかみしんどう遺跡は、縄文時代後期中葉の酒見式土器の標準遺跡で、土器のほかに磨製石斧・打製石斧・石鏃石錘・石匙・凹石および長さ約四〇センチの石棒が出土。

承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に富来院内「酒見村 弐町八段壱 建保弐年立券状」とあるが、以後の動向は不明。天正一一年(一五八三)六月一三日の新堂虚空蔵菩薩社再興棟札(高爪神社蔵)に、施主として「酒見村大谷大鍬掃部八助」がみえ、大福寺由緒覚書(福山文書)によると、新堂は酒見村にあり、大谷大鍬は酒見村元祖とある。

酒見村
さけみむら

大川市酒見に比定される中世の村。三潴みづま西さい郷のうち。永仁四年(一二九六)一二月日の玉垂宮并大善寺仏神事記文(御船文書/鎌倉遺文二五)によると、大善だいぜん玉垂たまたれ(現久留米市)の二月彼岸御供料九斗九升・冬烝使頭官料一石の用途を負担し、五月会で村田楽・尻巻・流鏑馬・右方相撲人を出した。貞和三年(一三四七)九月二三日の高良宮祭料米色々神役村々注文写(同文書/南北朝遺文(九州編)二)では冬祭分の祭料米一石・二月彼岸御供料米九斗五升・祭頭・村田楽・流鏑馬・回廊二間・大善寺檀供一一枚を負担。当地の領主とみられる酒見小太郎教員は、筑後国鷹尾たかのお別府(現大和町)雑掌道慶と安富兵部丞泰長との相論において催促の使節を勤め、元亨四年(一三二四)二月五日付で請文を提出している(同年三月二〇日「鎮西下知状案」深江文書/鎌倉遺文三七)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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