酒々井村(読み)しゆすいむら

日本歴史地名大系 「酒々井村」の解説

酒々井村
しゆすいむら

[現在地名]酒々井町酒々井しすい東酒々井ひがししすい中央台ちゆうおうだい

印旛沼南岸に位置する。中央台地上を成田道が通り、道沿いに宿場酒々井しゆすい町が形成された。沼に直面した北端新堀しんぼりには近世前期に新堀河岸が設けられた。その南側台地、厳島いつくしま山裾部には新堀とよばれる集落が形成され、北隣中川なかがわ村の苗代場なわしろばから同地を経由して大佐倉おおさくら(現佐倉市)浜宿はまじゆくに至る沼に沿う道があり、途次の小川に小別当こべつとう橋が架かる。近世初期まではススイと称し、以後は江戸時代を通してシュスイであった(元禄郷帳など)。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)大応だいおう(現佐原市)領として須々井とみえ、同寺領二町余が当地にあった。「本土寺過去帳」には没年不明ながら「ススイ」で没した什乗や妙現がみえる。

近世初頭のものとみられる下総国印東之郡佐倉内酒々井之郷水帳(深山家文書)の一部が残り、草分百姓と推測される二五人の名前などがみえる。文禄元年(一五九二)から武田信吉領、慶長七年(一六〇二)松平忠輝領、翌八年幕府領、同一五年佐倉藩領、寛永一七年(一六四〇)幕府領、同一九年佐倉藩領、万治三年(一六六〇)から幕府領と領主は頻繁に変わったとされ(「佐倉御城之記」佐倉史談付録、「佐倉御城代々記」成田山仏教図書館蔵など)、寛文元年(一六六一)佐倉藩領となり(寛文朱印留)、以後幕末まで同藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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