部郷(読み)くさべごう

日本歴史地名大系 「部郷」の解説

部郷
くさべごう

和名抄」高山寺本は部、東急本は日部につくるがともに「くさべ」(久散倍・久佐倍)と訓ずる。古代でも両方の用字史料がある。の字は日下の和字である。「和泉志」は草部くさべ菱木ひしき原田はらだ万崎まんざき(現堺市)の諸邑を郷域とするが、平安後期以降の草部郷には現高石たかいし市の富木とのき取石とろし(土生・大園地域)も含まれていた。式内社は日部神社(現堺市)のみである。なお郷名の初見は天平二年(七三〇)の「瑜伽師地論」巻二六(知恩院蔵)跋語(後述)。「古事記」垂仁天皇段に印色入日子が「日下之高津池」を作ったとあるが、同様の記事を載せる「日本書紀」垂仁天皇三五年九月条には高石たかし池とある。もとよりこれらの記事は史実ではないが、高石地名からすると、後者に関する伝承であった可能性がある。なお「日本書紀」仁賢天皇六年九月条に、菱城ひしき邑の人の鹿父が飽田女の複雑な血族関係を知る人として記されている。


部郷
そのべごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「部」と記し訓を欠く。郷名は他の古代史料にみえず、ただ「平家物語」巻九(六箇度軍)に、園部そのべの在地武士と思われる紀伊国住人園辺兵衛忠康なる人物がみえるのみである。

郷域は現和歌山市六十谷むそた園部善明寺ぜんみようじ大谷おおたに楠見中くすみなかなか船所ふなどこあわ平井ひらい市小路いちしようじ栄谷さかえだにの地域と推定される。栄谷は「境谷」の好字と考えられ、この谷と南方を流れる土入どうにゆう(紀ノ川旧流)とを結ぶ線が名草・海部あま郡の郡界であったと推定される。「日本霊異記」下巻第一六話に「紀伊国名草郡貴志里」、同書下巻第三話に「紀伊国名草郡内楠見粟村」などがみえ、部郷内と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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