郡家(鳥取県)(読み)こおげ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「郡家(鳥取県)」の意味・わかりやすい解説

郡家(鳥取県)
こおげ

鳥取県東部、八頭郡(やずぐん)にあった旧町名(郡家町(ちょう))。現在は八頭町の北部を占める地域。旧郡家町は1951年(昭和26)町制施行。1953年国中(くになか)、大御門(おおみかど)、下私都(しもきさいち)の3村、1957年上私都、中私都の2村を合併。2005年(平成17)船岡町(ふなおかちょう)、八東町(はっとうちょう)と合併し、八頭町となる。旧町域はJR因美(いんび)線、若桜(わかさ)鉄道が通じ、国道29号が走る。首邑(しゅゆう)の郡家は明治期以来郡の中心であるが、段丘上に立地し高下(こうげ)とよんだのが地名の由来という。周辺の丘陵には銅鐸(どうたく)出土地や古墳群、国の重要文化財持国天(じこくてん)・多聞天(たもんてん)立像のある青竜寺(せいりゅうじ)、国史跡土師百井(はじももい)廃寺跡などが分布する。礎石19個、方7メートルの奈良時代の塔跡付近には、推定八上郡衙跡(やかみぐんがあと)が発見された。一帯はナシの産地で、殿(との)地区周辺は花御所(ごしょ)ガキが特産品である。私都川上流の姫路(ひめじ)、明辺(あけなべ)は木地師(きじし)集落で、姫路には平家落人(おちゅうど)の伝承がある。

[岩永 實]

『『郡家町誌』(1969・郡家町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例