郡家町(読み)こおげちよう

日本歴史地名大系 「郡家町」の解説

郡家町
こおげちよう

面積:八五・五三平方キロ

八頭郡の東部北端に位置し、北は鳥取市・岩美いわみ国府こくふ町、南は八東はつとう町・船岡ふなおか町、西は河原かわはら町。八東川の支流私都きさいち川が町域東端のおうぎノ山(一三〇九・九メートル)の谷に発し、支流を合せ蛇行しながら西流、町域西端で船岡町との境を西流してきた八東川に合流する。町域の大部分は標高一〇〇メートル前後から一〇〇〇メートルに及ぶ山林原野で、私都川と八東川の流域に平地が開ける。主交通路はかつての若桜わかさ往来にほぼ合致する国道二九号とJR因美線、若桜鉄道で、ほかに県道麻生あそう―国府線、同郡家―国府線、同大坪おおつぼはやぶさ停車場線、同国府―八東線などがある。

現在までに確認されている縄文時代・弥生時代の遺跡は少なく、縄文後期の西御門にしみかど遺跡、弥生時代の万代寺まんたいじ遺跡などのほか、下坂おりさかから袈裟襷文銅鐸が発見されているにすぎない。しかし古墳時代、とくに後期になると開発が著しく進んだとみられ、後期から終末期にかけて築造された古墳は四〇〇基以上にのぼり、なかには米岡よねおか二号古墳のように石室壁面に線刻画をもつものもある。古代には八上やかみ郡に属した。同郡の郡衙は万代寺にあったとみられ、発掘調査により官衙跡(万代寺遺跡)が確認されている。また近くの土師百井はじももいには七世紀後半代の白鳳時代の建立と考えられる寺跡(土師百井廃寺)がある。これらの遺跡の立地する私都川下流域は、奈良―平安時代における八上郡の中枢地域であったと考えられる。律令制の郷は、「和名抄」にみえる八上郡一二郷のうち曰理わたり私部きさいべ土師はじの三郷が町域に比定され、「延喜式」神名帳に載る八上郡の和多理わたり神社が殿とのにある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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