那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)(読み)なすのくにのみやつこのひ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)
なすのくにのみやつこのひ

栃木県大田原(おおたわら)市湯津上(ゆづかみ)にあり、笠石(かさいし)神社の神体となっている石碑。1676年(延宝4)磐城(いわき)(福島県)の僧円順(えんじゅん)により発見され、馬頭(ばとう)(栃木県)の大金重貞(おおがねしげさだ)によって解読された。のち徳川光圀(みつくに)の知るところとなり、鞘堂(さやどう)の中に安置された。碑は、高さ120センチメートル、幅約48センチメートル、厚さ40センチメートルの角柱形の碑身の上に高さ約28センチメートルの笠石がのる。花崗(かこう)岩の前面を平滑にし、8行152字が六朝(りくちょう)風の整った書体で刻まれている。碑文は、永昌(えいしょう)元年(唐(とう)の年号で689年)に評督に任じられた国造那須直韋提(なすのあたいいで)が康(庚)子の年(700)に没し、意斯麻呂(おしまろ)らがその生前の徳をしのんで建碑したことが記されている。碑文の解読には異説があるが、中国の年号を知っている渡来人が造碑に関与したことは疑いなく、国造制や評制についての史料としても貴重なものである。現存する墓碑としては、群馬県高崎市にある山上碑(やまのうえひ)(681)に次ぎ2番目に古い石碑である。1952年(昭和27)国宝指定

[久保哲三]

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