那珂湊市(読み)なかみなとし

日本歴史地名大系 「那珂湊市」の解説

那珂湊市
なかみなとし

面積:二五・九八平方キロ

県の太平洋岸中央部、那珂川河口左岸に位置し、北と西は勝田市に、南は東茨城郡大洗町・常澄つねずみ村に接する。那珂湊の地名は常澄村六地蔵ろくじぞう寺蔵写経奥書(「那珂湊市史料」所収)に「于時文和年十一月廿六日常州吉田(郡)那珂湊書写之畢 妙範」とあって文和四年(一三五五)までさかのぼり、近世以前から湊村の呼称として使用された。

〔原始〕

那珂川河口に位置するため自然環境に恵まれ、遺跡が多い。先土器時代の遺物沢田さわだ部田野へたのやまうえから出土し、縄文時代の遺跡は草創期から晩期に至るまで数多く、貝塚は前期の道理山むべやま貝塚・小川こがわ貝塚・富士ふじうえ貝塚、中期の部田野B・C・D貝塚、後期の部田野A貝塚・たつくち貝塚・御船蔵おふなぐら貝塚、晩期の柳沢やなぎさわ貝塚がある。柳沢遺跡からは晩期の住居跡も発見された。弥生時代の遺跡は中期のむじな遺跡・小谷金こやがね遺跡・部田野遺跡・柳沢遺跡があり、柳沢遺跡から合せ口甕棺や副葬品の管玉が出土した。後期の遺跡数は増加し、山ノ上遺跡・富士ノ上遺跡・八幡はちまんうえ遺跡などで住居跡を発見。古墳時代の住居跡は山ノ上遺跡・富士ノ上遺跡・八幡ノ上遺跡などから発見され、古墳は道理山古墳群・柳沢古墳群・和田わだうえ古墳群・東塚原ひがしつかはら古墳群・三ッ塚みつづか古墳群・磯崎いそざき古墳群がある。前方後円墳は柳沢古墳群に一基、磯崎古墳群に二基ある。とくに三ッ塚古墳群と磯崎古墳群は海岸に接する台地とその斜面に形成される百数十基の大古墳群である。

〔古代〕

大化(六四五―六五〇)前代は仲国なかのくにに属し、大化以降常陸国那賀なか郡に属した。奈良・平安初期の住居跡は清水町しみずちよう遺跡・八幡ノ上遺跡・神敷台かみしきだい遺跡などに発見され、墳墓として館山たてやま横穴・小谷金横穴群・さんあな横穴群がある。平城宮出土木簡によれば、磯崎海岸のワカメが貢進されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報