那古野神社(読み)なごやじんじや

日本歴史地名大系 「那古野神社」の解説

那古野神社
なごやじんじや

[現在地名]中区丸の内二丁目

東照とうしよう宮の東隣に鎮座する。祭神は素盞嗚尊。旧県社。築城前にはすぐ南に若宮わかみや八幡社もあった(金城温古録)。三の丸天王・郭内かくない天王・亀尾かめのお天王社、単に天王社などともよばれた(府城志)ほん町・伝馬てんま町をはじめ碁盤割の中心部から、ほり川西岸の小船こぶな町・しお(現西区)などにかけて氏子をもち、城擁護の鎮守であった(尾張名所図会)

延喜一一年(九一一)創建。天文元年(一五三二)二月、織田信秀と今川氏豊との那古野合戦の兵火で焼失したが、同八年再営。慶長一五年(一六一〇)名古屋城築城に際し、家康は当社と若宮八幡社が障害になるため、いずれかを移転させようとくじを引き、若宮八幡社を松原まつばら(末広町)へ移した(尾張名陽)。藩主徳川義直・光友らも厚く尊崇した。明治維新の際須佐之男すさのお社と改め、明治九年(一八七六)一〇月現在地に移り、同三二年七月那古野神社と改称(名古屋神社誌)

別当真言宗天王てんのう坊で、亀尾安養あんよう華王けおう院と呼称され、当社の東側にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報