氏子(読み)うじこ

精選版 日本国語大辞典 「氏子」の意味・読み・例文・類語

うじ‐こ うぢ‥【氏子】

〘名〙 氏神の子孫。氏神の末裔。転じて、同じ氏神をまつる人々。うぶすな神が守ってくれる範囲に住む人。産子(うぶこ)
※日蓮遺文‐曾谷殿御返事(1279)「天照太神は魂を失って、うぢこをまほらず」
滑稽本浮世風呂(1809‐13)四「堂宮大破に及んでみなさい。〈略〉建立だの再建だのと、氏子(ウヂコ)や檀方はいふもさら」

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デジタル大辞泉 「氏子」の意味・読み・例文・類語

うじ‐こ〔うぢ‐〕【氏子】

祖神である氏神の子孫。氏の子。氏人。
産土神うぶすながみ鎮守する土地に住んでいて、その守護を受け、それを祭る人々。

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改訂新版 世界大百科事典 「氏子」の意味・わかりやすい解説

氏子 (うじこ)

一般にはある氏神に属する〈氏子〉というふうに,各神社の祭祀圏を構成する住民や世帯をいう。こんにち神社神道では信者に相当する総称として〈氏子〉を用いるが,狭意には各神社の慣習的な祭祀圏を〈氏子場〉ないし氏子区域と称し,その圏内の居住者を〈氏子〉,圏外からの信者を〈崇敬者〉と呼ぶ。本来,氏神と氏子の関係は古代社会における氏族集団の成員(氏人(うじびと))とその守護神(氏の神)に由来し,中世以来の氏族制社会の崩壊と郷村制社会の成立発展に即してその意味内容が変化したものである。文献上,氏族祭祀は《続日本紀》和銅7年(714)2月の条に初見があり,大倭忌寸(やまとのいみき)が〈氏上〉(族長)として神祭を命ぜられているが,記紀神話その他の古典からして,少なくとも古墳時代以来の氏族祭祀は推定できる。奈良時代末期には藤原氏が盛んに春日神をまつるほか,〈正倉院文書〉にも官人が各氏族祭祀のために休暇を得た形跡がある。平安時代後半に律令体制が形骸化し,有力神社の氏族祭祀が困難になると,各社が独自の信徒団を開拓してこれを氏人(衆)と称するようになる。さらに鎌倉期から室町期にかけて畿内とその周辺に郷村が発達すると,そこでの社寺の祭祀団,信徒団にも氏人の名を用いた。この名が古代氏族の権威を象徴するところから,伊勢,賀茂,春日,住吉,多賀などの諸社には〈氏人衆〉と称する特権的な祭祀団が中世を通じて存続した。〈氏子〉は当初,某家の子女の意味であったが,13~14世紀の伊勢神宮の神職文書に氏人と混用されて散見するようになり,やがて畿内郷村の地方文書や神社文書には,氏人を氏神祭祀団の意味に,氏子を氏神の加護を受ける者の意味に用いている。中世末期から近世初期にかけて氏子の意味はさらに転化し,特権的な祭祀団を意味した〈氏人衆〉〈氏人等〉の語が消えて,郷村社会にふさわしい地域的祭祀団を示す〈氏子衆〉〈氏子中〉が登場した。江戸時代には氏神を産土(うぶすな)神とする考え方が一般化し,氏子が産子(うぶこ)と呼ばれる傾向も出るが,民衆の離村移住を統制するため幕府はこの産子の原理を援用して出生地の神社に氏子身分を固定しようとした(《徳川禁令考》)。

 明治維新後,政府は祭政一致の方針のもとに氏子制度を法制化し,これによって寺請(てらうけ)制度に代わるキリシタン禁制と戸籍の整備をはかるとともに国民教化の単位とした。すなわち1871年(明治4),太政官布告の〈郷社定則〉および〈大小神社氏子調規則〉は,同年制定の戸籍法にもとづく戸籍区(1区当り1000戸)ごとに置かれた郷社に区内全住民を氏子として登録せしめるものであった。各郷社は氏子札を発行し氏子籍を作成して江戸時代の宗門改めに代わる氏子改めを行い,小教院ないし説教所として国民教化の場となった。しかし73年には異教禁制の方針が撤回され,78年には戸籍法(郡区町村編制法)も整備されるにいたって郷社氏子制と氏子調が廃止され,さらに84年までには大教院制度も解体されるに及んで,氏子制度はその法的意義を失い,本来の習俗的制度にやがて立ち返った。すなわち各神社が一定の氏子区域をもち,その区域内住民はすべてその神社の維持崇敬を彼らの敬神生活とする〈氏子ハ一戸一神ニ限ル〉(1896)という原則に落ちついた。ただし第2次大戦までは国家祭祀としての行政指導もあって氏子制度は強力な規制力を発揮したが,大戦後,神社神道が宗教法人化したために地域住民に対するかつての一元的規制力を失っている。
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江戸に入った徳川氏は,江戸原住民の鎮守の神田明神を改めて江戸総鎮守とし,3代目の家光が江戸で生まれたとき,城内にあった日枝山王(ひえさんのう)を徳川氏の産土神とした。このため江戸原住民と将軍家は同じ氏子となった。盛行をきわめた天下祭はこの関係を強調する行事でもあった。また6代の家宣は根津権現を,8代の吉宗は赤坂氷川社を産土神とした。明神の氏子町は神田,日本橋,京橋の40ヵ町,山王の氏子町は麴町,日本橋,京橋,神田の約60ヵ町の範囲であった。これ以外の江戸の各地域の神社も,それぞれ固有の氏子町があり,いずれも居住の町を単位に氏子関係が成立したのが特徴だった。江戸住民の半数以上を占める武家の場合,大名本国(領国)の氏神に属し,旗本もまた駿河,遠江,三河3国にまたがる本国の氏神に属したため,江戸の神とは無関係に近かった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「氏子」の意味・わかりやすい解説

氏子
うじこ

氏神(うじがみ)を信奉する人々のことであるが、氏神の変遷に伴って、現在では神社の信仰圏を形成する人々をさす。古代の氏神は氏長(うじおさ)を中心に春秋の二度にわたって祭りが営まれていた。その祭祀(さいし)を支持する一族すべてが氏人(うじびと)として参加していた。その祭祀集団が自然に血縁的な関係になっていたので、そこで祀(まつ)られる氏神が一族つまり血縁集団の崇拝する神ということになっていたと考えられる。それゆえに氏神ともよばれていたのであろう。つまり古代の氏人は氏族すべての者をさし、それがそのまま氏神の祭祀集団を構成していたのである。現在使われている氏子という名称は、平安末期から中世にかけて文書に出てくるようになる。そして、それまでの氏人にとってかわり、中世以降に氏神の祭祀構成員を意味するようになった。氏神の内容そのものが、古代の氏神からしだいにムラの守護神とみなされるようになると、産土神(うぶすながみ)や鎮守神と同一視されるようになり、氏子そのものも一定地域に即した地域的な祭祀集団を意味するようになった。

 現在は氏神とかお宮といえば神社を対象としている。それを信奉する氏子は地域的に限定されるので、同じ地域に二つ以上の社(やしろ)をもつことはない。ただいくつかの村落がまとまって郷として機能している場合には、自らの属するムラの氏神と郷の氏神との二重氏子という形をとることになるが、通例はいずれかに力点が置かれているものである。とにかく、今日的にはムラの神として機能する氏神はムラという一定の地域の守護神として存在しており、氏子はその地域における祭祀集団ということになっている。そしてなんらかの形でその祭祀に関与することになるのである。

 ところで、どのような氏神でも、氏子中(うじこじゅう)からとくに世話役として氏子総代が選出され、その管理、運営にあたる。氏神がムラの物事いっさいの中心であるような土地柄では、ムラ寄合(よりあい)を兼ねた氏子寄合などで選出されることになる。一定の任期をもつ輪番制であったりするが、社の清掃、神主の世話、祭礼の運営の責任者となる。また、もともと氏神の祭りに専業の神職が必要だったわけではない。神主などの神役は、氏子のなかから出ていたのである。それが日常生活の複雑化や祭祀形式の多様化に従って、専門の担当者を必要とするに至ったのである。それ以前の、氏子が交代で祭祀を営む形態は、宮座(みやざ)における一年神主や頭屋(とうや)などにみることができる。宮座というのは、伝統を守って祭祀を執り行ってきたもとからの氏子集団が、新しく転入した人々に対して特権的なものとなったときに称するものである。座ともいうが、氏神を中心にした関係からとくに宮座とよばれている。こうしたものとは本質的に異なるが、氏子間に共通した風習もみられる。たとえば、東京近郊の大鷲(おおとり)神社の氏子はその名にちなんで卵はもとより鶏肉も食すことはないという。また、切り口が天王神社の紋に似ているというのでキュウリは食べないといったような食物禁忌を伝える事例は各地に残っている。

 氏子としての承認を受ける機会であるが、赤子が誕生して忌み明け後の初宮参りを、氏子入りとするのが一般的である。赤飯などを携えて神社に参る。その際に、赤子をつねってでも泣かせて氏神にその声を聞いてもらうなどという事例が顕著である。氏子入りが同時に地域社会の一員として承認されるという儀礼でもある。土地によっては7歳になってようやく氏子入りするという所もある。そうした土地ではそれまでは神の子だからといった解説がなされている。また、嫁入りなどの際に氏神を訪れるのも、氏子への加入と同時に、その共同体の一員として承認を求める初宮参りと同様の感覚からきているものであろう。なお、誕生や婚姻に伴う氏子入りだけでなく、他所からの移住によって氏子入りが必要となることもある。ムラに移住するときには、そこでの共有財産の使用権などが絡んでくるので、氏子入りが同時にムラ入りや株入りを兼ねることになる。

 昨今の都市部のように転住が頻繁に行われるようになると、氏神と氏子との結び付きがどうしても希薄になる。そのうえ、場合によっては氏子入りする神社が兄弟姉妹の間でも異なるという現象が生じてくる。したがって、氏子ならば当然の義務とみなされていた氏神への奉仕も、有志の寄付金に象徴されるような形で求めざるをえなくなっている。さらには、管理や運営をめぐって、地元民と移住者との対立が生じることもある。

[佐々木勝]

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百科事典マイペディア 「氏子」の意味・わかりやすい解説

氏子【うじこ】

氏神をまつる権利と義務をもつ地域集団の成員。英雄などをまつる神社で祭祀(さいし)圏が地域的に限定されない場合は,氏子は普通存在しない。氏子の地域的閉鎖性は本来血縁の神であった氏神の信仰が地縁化したことに照応するもので,土地に生まれた子やよそから嫁入り婿入りしたものは宮参りをして氏子入りの承認を受ける。また離村,入村や分家などによって村構成が複雑化すると,一部の氏子によって宮座という特権的な祭祀組織が生じ,さらに神事を輪番で主宰するようになり,これを頭屋(とうや),一年神主などという。
→関連項目御旅所神主祭り宮参り

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「氏子」の意味・わかりやすい解説

氏子
うじこ

古代では氏神信仰によって団結していた氏族を氏人 (うじびと) と呼んだが,中世以降,氏人は氏子と呼ばれるようになった。すなわち,神社の祭祀圏を構成する人々のことである。神社には氏子区域が定められており,氏子としての資格には,一定地域に居住することと,祭りに参与するという2つの条件が必要である。元来は氏神は氏子たちの祖神であったが,のちには血縁を脱して地域関係だけの結びつきになっている。「宮参り」がその一例で,子供が氏子の仲間になることを神からも人からも認めてもらう儀式である。

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葬儀辞典 「氏子」の解説

氏子

神道の信者の総称。また、神社のある地域に住む人のこと。

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