中区(読み)ナカク

デジタル大辞泉 「中区」の意味・読み・例文・類語

なか‐く【中区】[横浜市]

なか‐く【中区】[名古屋市]

なか‐く【中区】[広島市]

なか‐く【中区】[堺市]

なか‐く【中区】[浜松市]

なか‐く【中区】[岡山市]

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日本歴史地名大系 「中区」の解説

中区
なかく

面積:九・五二平方キロ

市中央部に位置し、東は東区・千種ちくさ区・昭和区、南は熱田区・中川区、西は西区・中村区に接する。区域の大部分は標高一五メートル内外の名古屋台に乗る。東の御器所ごきそ台地との間を新堀しんほり(精進川)が、西の傾斜面の下を堀川が北から南へ流れる。南側はかつては海浜。「塩尻」に元興がんごう(跡地は現正木)が創建されたとき、その光彩が海に反射し、熱田の魚介がいなくなり、漁夫が困惑したとある。

名古屋台地の東に沿って北から南へ春日町かすがちよう遺跡・下前津しもまえづ遺跡・古沢町ふるざわちよう遺跡と続き、西には岩井通いわいどおり貝塚・正木町まさきちよう貝塚などが並ぶ。ほかに名古屋城天守閣貝塚・日出神社ひのでじんじや古墳・那古野山なごややま古墳・大須二子山おおすふたごやま古墳がある。奈良元興寺の道場法師の創建と伝えられる元興寺跡からは、七世紀後半のものとされる軒丸瓦が出土している。延喜一一年(九一一)には天王てんのう(那古野神社)・天王坊安養あんよう寺が建てられた(尾張志)

平安時代の末期、保元・平治の乱の頃、権中納言藤原顕頼の男小野法印顕恵は那古野庄を開いた。

中区
なかく

面積:一八・五九平方キロ

市域の東端、東は横浜港に臨み、西は西区・南区・磯子いそご区に接する。西方を北流する大岡おおか川と中部を北流する大岡川の分流中村なかむら川とその下流ほり川の間は埋立による低地で、南東は山手やまてから根岸ねぎしに続く丘陵が小半島を形成し、根岸湾に臨む部分に平坦地がある。磯子区との境付近を大岡川から切開いた堀割ほりわり川が流れる。

区域はかつて久良岐くらき郡に属し、中世は平子たいらこ郷に属したものと思われる。平子氏によって開かれた宝生ほうしよう寺に伝える「嘉吉弐年卯月廿六日」の市河季氏・比留間範数連署寄進状(県史三)に「久良郡横浜村薬師堂」がみえ、寛正四年(一四六三)五月九日の円鎮百姓年貢銭寄進状(同書)に「平子郷根岸村」がみえる。また「本目四ケ村」とある永正九年(一五一二)一二月六日宗瑞・伊勢氏綱連署制札写(同書)は平子房長に下されている。小田原衆所領役帳に本牧がみえる。

近世は幕府直轄領で、横浜村・本牧本郷ほんもくほんごう村が元禄一〇年(一六九七)以降に旗本領となる。現在の大岡川と中村川が囲む三角形の地域は入海で、現もと町辺りから現弁天通べんてんどおり六丁目辺りまで象の鼻とよばれる洲先が突出していた。

中区
なかく

面積:一四・七四平方キロ

広島市域の南中央、太田おおた川のつくるデルタ地帯に立地し、旧広島城下の大半を占める。東は京橋きようばし川を境に東区と南区、西は天満てんま川を境に西区に接し、南西は広島湾に臨む。区内中央西寄りに太田川(本川)が南流するが、途中元安もとやす川を分流。元安川は太田川の東を南流して京橋川河口に合する。区域の北部中央に広島城跡があり、旧城地には県庁・市民球場など県下の行政・文化施設が集まる。また太田川と元安川の分流地南には、原爆ドームを中心に平和記念公園がつくられ、その南には平和へいわ大通が通り、区域を横断する。

中区
なかく

2007年4月1日:浜松市政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区天竜区を設置
【浜松市】[変更地名]静岡県

中区
なかく

2006年4月1日:堺市の政令指定都市移行に伴い、堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区を設置
【堺市】[変更地名]大阪府

中区
なかく

2009年4月1日:岡山市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・北区・南区を設置
【岡山市】[変更地名]岡山県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中区」の意味・わかりやすい解説

中〔区〕
なか

神奈川県東部,横浜市東端にある区。北部は大岡川下流の低地で,江戸時代の埋立て地も多い。中央-南部は本牧岬の台地。 1927年区制。 43年南区,44年西区を分区。区名の由来は市の中心となる区であることによる。横浜港にのぞむ関内は幕末の開港により急速に発展し,県庁,市役所などの官公庁,金融機関,企業などが集中。現在神奈川県立歴史博物館となっている旧横浜正金銀行 (史跡) や横浜港の中枢をなす大桟橋埠頭,山下埠頭,新港埠頭がある。周辺には野毛町,伊勢佐木町,元町などの繁華街がある。桜木町駅は明治5 (1872) 年日本で最初に鉄道が開通した当時の横浜駅である。本牧岬には山手町,本牧,根岸などの地区があり,静かな住宅地として発展してきたが,海岸は 1960年代なかばには全域が埋立てられ,本牧埠頭や倉庫,工場が建設された。南部には大規模な石油基地がある。山手町には港の見える丘公園,外国人墓地,山下町には山下公園,中華街,本牧には三渓園がある。 JR根岸線,東京急行電鉄京浜急行電鉄,国道 16号線,357号線が通り,本牧埠頭は鶴見区大黒埠頭と横浜ベイブリッジで結ばれ,首都高速湾岸線が通じている。面積 21.44km2。人口 15万1388(2020)。

中〔区〕
なか

岡山県南部,岡山市中央部の区。児島湾に面した干拓地の平野が南部に広がり,西部の北区,南区との境を旭川,東部の東区との境を百間川が流れる。2009年岡山市の政令指定都市化に伴い区制。奈良時代には備前国の国府が置かれ,江戸時代には池田氏の城下町の一角として発展した。南部の干拓地を中心に米作が行なわれ,酒米として知られる雄町米(おまちまい)を特産。中部の沢田は富有柿の産地として知られる。重要港湾の岡山港周辺には工場や流通施設が集中する。幡多廃寺塔跡(はたはいじとうあと),賞田廃寺跡,岡山藩主池田家墓所はいずれも国の史跡に指定。JR山陽本線,国道2号線,250号線が通じる。面積 51.24km2。人口 14万9232(2020)。

中〔区〕
なか

大阪府中西部,堺市中央部の区。南部の丘陵地の一部は泉北ニュータウンに属する。 2006年堺市の政令指定都市化に伴い区制。石津川支流の陶器川や伊勢路川が流れ,農地と灌漑用のため池が点在する。伝統産業の緞通の技術が伝えられ,敷物が製造されるほか,和ざらし (→さらし ) とゆかたの染色業が行なわれる。北部に大阪府立大学がある。行基が築いたと伝えられる土塔は国の史跡に指定。泉北高速鉄道が区域を縦断し,阪和自動車道,堺泉北道路,国道 310号線が通る。面積 17.88km2。人口 12万1236(2020)。

中〔区〕
なか

静岡県西部,浜松市中南部の区。 2007年浜松市の政令指定都市化に伴い区制。官庁や企業,商業施設,住宅などが密集する市の中心市街地。自動車産業やその関連工場などが立地し,国指定重要文化財を所蔵する浜松市美術館や平野美術館などの文化施設や大学も多い。南西部の西区との境に佐鳴湖 (さなるこ) があり,周囲は公園として整備されている。縄文時代の集落跡が見られる蜆塚遺跡 (しじみづかいせき) は国の史跡に指定。東海道新幹線,JR東海道本線,遠州鉄道,国道 150号線,152号線,257号線が通じる。面積 44.34km2。人口 23万5240(2020)。

中〔区〕
なか

愛知県西部,名古屋市の中央部を占める区。 1908年区制。慶長 15 (1610) 年名古屋城の築城のおりの城下町南部の碁盤割り区域の大部分を占める。現在も名古屋市の中心地区。北部の名古屋城郭跡は官庁街で,中央部には問屋街,商工会議所,県産業貿易館,証券取引所などがあり経済活動の中心部。南北に貫く 100m道路の久屋大通り沿いに市立教育館,テレビ塔,県文化会館,県図書館などがある。栄通りの地下ショッピング街は各デパートと地下鉄を結ぶ。白川公園の南に大須観音があり,周辺に商店街が発達。南部に東本願寺別院,西本願寺別院がある。面積 9.38km2。人口 9万3100(2020)。

中〔区〕
なか

広島市南部,太田川下流の三角州に位置する区。 1980年区制。中心市街地の中央部を占める。西端に天満川,東端に京橋川,中央に太田川本流,元安川が流れる。紙屋町から八丁堀にかけて都心部を形成し,官公庁,事務所,中心商店街などがあって,昼間人口は著しく増大する。広島城跡,頼山陽居室,縮景園,原爆ドーム (いずれも史跡) ,平和記念公園,広島大学などがある。このうち原爆ドームは「平和の象徴」として周囲の敷地 0.39haを含め,1996年世界遺産 (文化遺産) に登録された。南端の埋立て地には造船所が立地する。面積 15.32km2。人口 14万2699(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

普及版 字通 「中区」の読み・字形・画数・意味

【中区】ちゆうく

世間。

字通「中」の項目を見る

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