逸見氏(読み)へみうじ

改訂新版 世界大百科事典 「逸見氏」の意味・わかりやすい解説

逸見氏 (へみうじ)

中世甲斐の豪族。〈へんみうじ〉ともいう。甲斐源氏義清の長子清光(1110-68)が逸見の若神子(わかみこ)(現山梨県北杜市,旧須玉町)に住んで逸見冠者と称し,長男光長が逸見を姓としたことにはじまる。光長は源平争乱に源頼朝に従い,逸見氏は幕府御家人となった。その後も逸見氏は甲斐に勢力を張り同族の武田氏と争った。1416年(応永23)有直のとき,上杉禅秀の乱で武田信満が敗死すると,足利持氏にくみして甲斐守護になろうとした。幕府の許可は得られなかったが,甲斐は事実上逸見氏の支配するところとなった。その後武田信長が勢力を持ったが持氏の逸見氏救援により26年(応永33)信長は降参した。こうして甲斐に大きな力を持った逸見氏であったが,39年(永享11)永享の乱で足利持氏が敗れた折運命をともにする者が多く,衰退していった。なお一族の又太郎義重は承久の乱の功により美濃大桑郷を得,美濃逸見氏の祖となった。また若狭丹波等の逸見氏も,甲斐逸見氏から分かれたものである。
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世界大百科事典(旧版)内の逸見氏の言及

【逸見氏】より

…甲斐源氏義清の長子清光(1110‐68)が逸見の若神子(わかみこ)(現,山梨県須玉町)に住んで逸見冠者と称し,長男光長が逸見を姓としたことにはじまる。光長は源平争乱に源頼朝に従い,逸見氏は幕府御家人となった。その後も逸見氏は甲斐に勢力を張り同族の武田氏と争った。…

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